・・・というのは、昔からの国の習俗で、この日の神聖な早乙女に近よってからかったりする者は彼女達の包囲を受けて頭から着物から泥を塗られ浴びせられても決して苦情はいわれないことになっていたのである。 そういう恐ろしい刑罰の危険を冒して彼女らを「テ・・・ 寺田寅彦 「五月の唯物観」
・・・ しかしまたこの事から、とんぼの止まっているときの体向は太陽の方位には無関係であるという結論を下したとしたら、それはまた第二の早合点という錯誤を犯すことになるであろう。この点を確かめるには、実験室内でできるだけ気流をならしておいて、その・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・昔からの言い伝えでは胞衣を埋めたその上の地面をいちばん最初に通った動物がきらいになるということになっている。なるほど上にあげた小動物はいずれも地面の上を爬行する機会をもっているから、こういう俗説も起こりやすいわけであろうが、この説明は科学的・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・イサーク寺では僧正の法衣の裾に接吻する善男善女の群れを見、十字架上の耶蘇の寝像のガラスぶたには多くのくちびるのあとが歴然と印録されていた。 通例日本の学者の目に触れるロシアの学者の仕事は、たいてい、ドイツあたりの学術雑誌を通して間接に見・・・ 寺田寅彦 「北氷洋の氷の割れる音」
・・・季節と共に風の向も変って、春から夏になると、鄰近処の家の戸や窓があけ放されるので、東南から吹いて来る風につれ、四方に湧起るラヂオの響は、朝早くから夜も初更に至る頃まで、わたくしの家を包囲する。これがために鐘の声は一時全く忘れられてしまったよ・・・ 永井荷風 「鐘の声」
・・・いずれも三尺あるかなしかの開戸の傍に、一尺四方位の窓が適度の高さにあけてある。適度の高さというのは、路地を歩く男の目と、窓の中の燈火に照らされている女の顔との距離をいうのである。窓際に立寄ると、少し腰を屈めなければ、女の顔は見られないが、歩・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・麻の法衣を着て麦の飯を食ってあくまで道を求めていました。要するに原理は簡単で、物質的に人のためにする分量が多ければ多いほど物質的に己のためになり、精神的に己のためにすればするほど物質的には己の不為になるのであります。 以上申し上げた科学・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・高等学校の教授が黒いガウンを着出したのはその頃からの事であるが、先生も当時は例の鼠色のフラネルの上へ繻子か何かのガウンを法衣のように羽織ていられた。ガウンの袖口には黄色い平打の紐が、ぐるりと縫い廻してあった。これは装飾のためとも見られるし、・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・跛で結伽のできなかった大燈国師が臨終に、今日こそ、わが言う通りになれと満足でない足をみしりと折って鮮血が法衣を染めるにも頓着なく座禅のまま往生したのも一例であります。分化はいろいろできます。しかしその標準を云うとまず荘厳に対する情操と云うて・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・白き髯を胸まで垂れて寛やかに黒の法衣を纏える人がよろめきながら舟から上る。これは大僧正クランマーである。青き頭巾を眉深に被り空色の絹の下に鎖り帷子をつけた立派な男はワイアットであろう。これは会釈もなく舷から飛び上る。はなやかな鳥の毛を帽に挿・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
出典:青空文庫