・・・彼は、素直に伝右衛門の意をむかえて、当時内蔵助が仇家の細作を欺くために、法衣をまとって升屋の夕霧のもとへ通いつめた話を、事明細に話して聞かせた。「あの通り真面目な顔をしている内蔵助が、当時は里げしきと申す唄を作った事もございました。それ・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
ある春の夕、Padre Organtino はたった一人、長いアビト(法衣の裾を引きながら、南蛮寺の庭を歩いていた。 庭には松や檜の間に、薔薇だの、橄欖だの、月桂だの、西洋の植物が植えてあった。殊に咲き始めた薔薇の花は・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・ 清正は香染めの法衣に隠した戒刀のつかへ手をかけた。倭国の禍になるものは芽生えのうちに除こうと思ったのである。しかし行長は嘲笑いながら、清正の手を押しとどめた。「この小倅に何が出来るもんか? 無益の殺生をするものではない。」 二・・・ 芥川竜之介 「金将軍」
・・・それが静かな潮風に、法衣の裾を吹かせながら、浪打際を独り御出でになる、――見れば御手には何と云うのか、笹の枝に貫いた、小さい魚を下げていらっしゃいました。「僧都の御房! よく御無事でいらっしゃいました。わたしです! 有王です!」 わ・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・何でも一度なぞは勇之助が、風か何か引いていた時、折悪く河岸の西辰と云う大檀家の法事があったそうですが、日錚和尚は法衣の胸に、熱の高い子供を抱いたまま、水晶の念珠を片手にかけて、いつもの通り平然と、読経をすませたとか云う事でした。「しかし・・・ 芥川竜之介 「捨児」
・・・が、側へ寄って見ると、横に広いあと口に東京胞衣会社と書いたものだった。僕は後から声をかけた後、ぐんぐんその車を押してやった。それは多少押してやるのに穢い気もしたのに違いなかった。しかし力を出すだけでも助かる気もしたのに違いなかった。 北・・・ 芥川竜之介 「年末の一日」
・・・「あれは胞衣塚ですね。」「胞衣塚?」「ええ、胞衣を埋めた標に立てる石ですね。」「どうして?」「ちゃんと字のあるのも見えますもの。」 彼女は肩越しにわたしを眺め、ちらりと冷笑に近い表情を示した。「誰でも胞衣をかぶっ・・・ 芥川竜之介 「夢」
・・・はて法会の建札にしては妙な所に立っているなと不審には思ったのでございますが、何分文字が読めませんので、そのまま通りすぎようと致しました時、折よく向うから偏衫を着た法師が一人、通りかかったものでございますから、頼んで読んで貰いますと、何しろ『・・・ 芥川竜之介 「竜」
・・・が、余りに憧るる煩悩は、かえって行澄ましたもののごとく、容も心も涼しそうで、紺絣さえ松葉の散った墨染の法衣に見える。 時に、吸ったのが悪いように、煙を手で払って、叺の煙草入を懐中へ蔵うと、静に身を起して立ったのは――更めて松の幹にも凭懸・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ その景色の上を、追込まれの坊主が、鰭のごとく、キチキチと法衣の袖を煽って、「――こちゃただ飛魚といたそう――」「――まだそのつれを言うか――」「――飛魚しょう、飛魚しょう――」 と揚幕へ宙を飛んだ――さらりと落す、幕の・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
出典:青空文庫