・・・新らしき思想の世界を拓かんとする羊の如く山の奥に逃げ込まずに獅子の如く山の奥から飛出して咆哮せよ。 二十五ヵ年の歳月が文学をして職業として存立するを得せしめ、国家をして文学の存在を認めしむるに到ったのは無論進歩したには違いないが、世界の・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・総じて複雑した脚色は当の作者自身といえども往々混錯して往々迷路に彷徨するは、あたかも自分の作ったラビリンスに入って出口を忘れるようなものだ。一度死んだ人間を無理に蘇生らしたり、マダ生きてるはずの人間がイツの間にかドコかへ消えてしまったり、一・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・きた燈火のように明滅していた当時の小説界も龍渓鉄腸らのシロウトに新らしい油を注ぎ込まれたが、生残った戯作者の遺物どもは法燈再び赫灼として輝くを見ても古い戯作の頭ではどう做ようもなく、空しく伝統の圏内に彷徨して指を啣えて眼を白黒する外はなかっ・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・そのうちに、子供は大きくなったものですから、この村から程近い、町のある商家へ、奉公させられることになったのであります。 子供は、町にいってからも、西の山を見て恋しい母親の姿をながめました。村の人々は、その子供がいなくなってからも、雪が降・・・ 小川未明 「牛女」
・・・ そのとき、ちょうど都から、この村にきている質屋の主人が、「そんなら、私どものところへ連れてゆきますが、奉公によこしてくださらんか。」といいました。龍雄の両親は、幸いと思って、その主人に龍雄を頼んで、都へやることにしたのでありま・・・ 小川未明 「海へ」
・・・ 少女は、暗い外の方を指して、町へ出る方向をおじいさんに教えました。ところどころに点いている街燈の光が見えるだけで、あとは風の音が聞こえるばかりでした。 ちょうど、その時分、B医師は、暗い路を考えながら下を向いて歩いてきました。彼は・・・ 小川未明 「三月の空の下」
・・・何処に彼のガラリヤの湖畔を彷徨したいわゆる乞食哲学者の面影があるか。それどころか英米の資本主義国家の手先となって、稍もすれば物質によって他国の貧民に慈恵し、安っぽい愛と同情とを強いている。人生は愛以外にない。然しこの愛という言葉が如何に現在・・・ 小川未明 「反キリスト教運動」
・・・その唄は、なんという唄であるか、あまり声が低いので聞きとることは、みんなにできなかったけれど、ただ、その唄をきいていると、心は遠い、かなたの空を馳せ、また、さびしい風の吹く、深い森林を彷徨っているように頼りなさと、悲しさを感じたのであります・・・ 小川未明 「港に着いた黒んぼ」
・・・例のごとく当もなく彷徨歩いていると、いつの間にか町外れへ出た。家並も小さく疎になって、どこの門ももう戸が閉っている。ドーと遠くから響いてくる音、始めは気にも留めなかったが、やがて海の音と分った。私は町を放れて、暗い道を独り浦辺の方へ辿ってい・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・そして、ああ、この人やこの人やというおきみ婆さんの声を聴きながら、じっとその写真を見ているうちに、私は家を出て奉公する決心をしました。その方が悲壮だという気がしたのです。おきみ婆さんに打ち明けると、泣いて賛成してくれました。私もおおげさだっ・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
出典:青空文庫