・・・現されなければならなかった当時のモラルも柄本又七郎の行動で表徴されているし、悪意ある方策によってかまえられた名誉の前に、生きるに生きがたい死を敢てする若い竹内数馬の苦痛に満たされた行動は、内藤長十郎が報謝と賠償の唯一の道として全意志を傾けて・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・この放射光線車は軍隊の間で「小キュリー」と親密な綽名で呼ばれた。キュリー夫人は戦争の長びくことが分るにつれ、あらゆる手段を講じて、官僚と衝突してそれを説得し、個人の援助も求めて自動車を手に入れ、それをつぎつぎに研究所で装置して送り出した。そ・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人」
・・・ありながら、客観的には一種の無力状態であるから、より年少な世代の精神的空白をみたし、戦争によって脳髄をぬきとられた青春にその誇りをとりもどし、その人間的心持に内容づけを与えてやる、どんな精神的熱量をも放射しえないでいるのである。 この現・・・ 宮本百合子 「現代の主題」
・・・ 互いに倚りかかりっこで一体に纏まって行こうとするよりは、箇々が独立した存在で、互の間に放射される希望、信任、生気で、人生を暖かく溌溂たるものにして行こうと冀う。夫婦の間でも、同胞の間でも、皆そう云う傾向ではあるまいかと思います。或る箇・・・ 宮本百合子 「男女交際より家庭生活へ」
・・・定職を与える者より、無智な愛情の所有者であることは知っていただろう、けれども、人間にとって、最も多方面な発動の可能を持つ愛情は、それが力強くあればあるほど、無智にも傾きやすい素質を持つことを、自分から放射される愛情について考え合わせていなか・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・ けれども、文化というと、それぞれの文明の諸相が、その社会の各個人たちの精神や感覚にどう作用し、どのようにとり入れられ、それらの総和がどんな本質でその社会へ再び発展的なものとして放射されているかという点にふれてくると思う。それ故文化とい・・・ 宮本百合子 「婦人の文化的な創造力」
・・・スクータリーの名状できない混乱をとおして、秩序と常識と先見と判断との光りが、日に夜にフロレンスが執務しているバラック病院の大廊下のそばの小さい部屋から放射されはじめた。変化は確実であった。病兵はタオルとシャボン、ナイフとフォーク、櫛と歯ブラ・・・ 宮本百合子 「フロレンス・ナイチンゲールの生涯」
・・・それでその恩に報いなくてはならぬ、その過ちを償わなくてはならぬと思い込んでいた長十郎は、忠利の病気が重ってからは、その報謝と賠償との道は殉死のほかないとかたく信ずるようになった。しかし細かにこの男の心中に立ち入ってみると、自分の発意で殉死し・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・騎兵と歩兵と砲兵と、服色燦爛たる数十万の狂人の大軍が林の中から、三色の雲となって層々と進軍した。砲車の轍の連続は響を立てた河原のようであった。朝日に輝いた剣銃の波頭は空中に虹を撒いた。栗毛の馬の平原は狂人を載せてうねりながら、黒い地平線を造・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
出典:青空文庫