・・・そうして私は、その変動に対して何の方針もきめることができなかった。およそその後今日までに私の享けた苦痛というものは、すべての空想家――責任に対する極度の卑怯者の、当然一度は受けねばならぬ性質のものであった。そうしてことに私のように、詩を作る・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・ 渠は前途に向かいて着眼の鋭く、細かに、きびしきほど、背後には全く放心せるもののごとし。いかんとなれば背後はすでにいったんわが眼に検察して、異状なしと認めてこれを放免したるものなればなり。 兇徒あり、白刃を揮いて背後より渠を刺さんか・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・その時分緑雨は『国会新聞』の客員という資格で、村山の秘書というような関係であったらしく、『国会新聞』の機微に通じていて、編輯部内の内情やら村山の人物、新聞の経営方針などを来る度毎に精しく話して聞かせた。こっちから訊きもしないのに何故こんな内・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・ 就中、社員が度々不平を鳴らし、かつ実際に困らせられたのは沼南の編輯方針が常にグラグラして朝令暮改少しも一定しない事だった。例えば甲の社員の提言を容れて直ぐ実行してくれと命じたものを乙の社員の意見でクルリと飜えして肝腎の提言者に通告もし・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・この方針から在来の女大学的主義を排して高等学術を授け、外国語を重要課目として旁ら洋楽及び舞踏を教え、直轄女学校の学生には洋装せしめ、高等女学校には欧風寄宿舎を設け、英国婦人の監督の下に欧風生活を実習させて、日本の女をして一足飛びに西洋の女た・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・それほど放心した歩き方だったのでしょう。腹は空ってくる。おまけに暑さにあてられて、目まいがする。そんな時、道端の百姓家へ泣きこんで事情を打ち明けると、食事を恵んでくれる親切なお内儀さんもありました。が、しまいにはもうそれもできなかった。とい・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・自分もまたその一人かと、新吉の自嘲めいた感傷も、しかしふと遠い想いのように、放心の底をちらとよぎったに過ぎなかった。 ただ、ぼんやりと坐っていた。うとうとしていたのかも知れない。電車のはいって来た音も夢のように聴いていた。一瞬あたりが明・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・何かしら思い詰めているのか放心して仮面のような虚しさに蒼ざめていた顔が、瞬間カッと血の色を泛べて、ただごとでない激しさであった。 迷いもせず一途に1の数字を追うて行く買い方は、行き当りばったりに思案を変えて行く人々の狂気を遠くはなれてい・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・しかし、話はしようとせず、とろんと疲れた眼を放心したように硝子扉の方へ向けていたが、やがて想いがまとまったのか、書きはじめたが、二行ばかり書くと、すぐ消して、紙をまるめてしまった。 そして、新しい紙にへのへのもへのを書きながら、「書・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・と言いながら、こんどは間違って便所の方へ行ってしまうという放心振りがめずらしくなく、飄々とした脱俗のその風格から、どうしてあの「寄せの花田」の鋭い攻めが出るのかと思われるくらいである。相手の坂田もそれに輪をかけた脱俗振りで、対局中むつかしい・・・ 織田作之助 「勝負師」
出典:青空文庫