・・・ と波を打って轟く胸に、この停車場は、大なる船の甲板の廻るように、舳を明神の森に向けた。 手に取るばかりなお近い。「なぞえに低くなった、あそこが明神坂だな。」 その右側の露路の突当りの家で。…… ――死のうとした日の朝―・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ おやじがこういうもんだから、一と朝起きぬきに松尾へ往った、松尾の兼鍛冶が頼みつけで、懇意だから、出来合があったら取ってくる積りで、日が高くなると熱くてたまんねから、朝飯前に帰ってくる積りで出掛けた、おらア元から朝起きが好きだ、夏でも冬・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・景気よくは応対していたものの、考えて見ると、吉弥に熱くなっているのを勘づいているので、旦那があるからとてもだめだという心をほのめかすのではないかとも取れないことではない。また、一方には、飲むばかりで借りが出来るのを、もし払われないようなこと・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・「この水が熱くなるまで、こうしてじっと立っておれ。」と、教師はいいました。 子供は、教師の仕打ちをうらめしく思いました。そして、日の当たる地上に、金だらいを持って立ちながら考えました。「ほんとうに自分はばかだ。ほかのものがみんな・・・ 小川未明 「教師と子供」
・・・昼は熱く夜は寒いというが、ロケットに乗って行って見ることができたら、どんなだろう……」と、さまざまに空想を逞うするにちがいないからです。 これを要するに、兎が餅を搗いているといった時代の子供の知識はその生活状態と調和していたがために・・・ 小川未明 「新童話論」
・・・と言いながら、手を叩いて女中を呼び、「おい姐さん、銚子の代りを……熱く頼むよ。それから間鴨をもう二人前、雑物を交ぜてね」 で、間もなくお誂えが来る。男は徳利を取り揚げて、「さあ、熱いのが来たから、一つ注ごう」 女も今度は素直に盃を受・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ ぎゃッと声を出したが、不思議に涙は出ず、豹一がキャラメルのにちゃくちゃひっついた手でしがみついてきたとき、はじめて咽喉のなかが熱くなった。そして何も見えなくなった。やがて活気づいた電車の音がした。 その夜、近くの大西質店の主人が大・・・ 織田作之助 「雨」
・・・いかにも、寒そうな、その姿がいまおれの眼のうらに熱くちらついて、仕方がない。右肩下りは、昔からの癖だったね。――おれももう永くはあるまい。お前とどっちが早いか。 想えば、お互いよからぬことをして来た報いが来たんだよ。今更手おくれだが、よ・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・眼の奥がじーんと熱くなり、そして、かつての落語家の頬をポトリと伝う涙は、この子の母親になる筈の自分の妻と、そしてこの子のきょうだいになる筈の自分の子を、明日はどこへ探しに行けば良いのかという頼り無さだった。 夜が明けると、赤井はミネ子と・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・ さて大分熱くなって来たぞ。日が照付けるぞ。と、眼を開けば、例の山査子に例の空、ただ白昼というだけの違い。おお、隣の人。ほい、敵の死骸だ! 何という大男! 待てよ、見覚があるぞ。矢張彼の男だ…… 現在俺の手に掛けた男が眼の前に踏反ッ・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
出典:青空文庫