・・・「あたしの木履の鈴が鳴るでしょう。――」 しかし妻は振り返らずとも、草履をはいているのに違いなかった。「あたしは今夜は子供になって木履をはいて歩いているんです。」「奥さんの袂の中で鳴っているんだから、――ああ、Yちゃんのおも・・・ 芥川竜之介 「蜃気楼」
・・・長靴の音がぽっくりして、銀の剣の長いのがまっすぐに二ツならんで輝いて見えた。そればかりで、あとは皆馬鹿にした。 五日ばかり学校から帰っちゃあその足で鳥屋の店へ行って、じっと立って、奥の方の暗い棚ん中で、コトコトと音をさしているその鳥まで・・・ 泉鏡花 「化鳥」
・・・ところが、三月ばかりたつと、亀やんはぽっくり死んでしまったので、私はまた拾い屋になろうと思って、ガード下の秋山さんを訪れると、もう秋山さんはどこかへ行ってしまったのか、姿を消していました。井戸水を貰っていた百姓家の人に訊いても、秋山さんが出・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・木魚の音のポン/\たるを後に聞き朴歯の木履カラつかせて出で立つ。近辺の寺々いずこも参詣人多く花屋の店頭黄なる赤き菊蝦夷菊堆し。とある杉垣の内を覗けば立ち並ぶ墓碑苔黒き中にまだ生々しき土饅頭一つ、その前にぬかずきて合掌せるは二十前後の女三人と・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・永代の橋の上で巡査に咎められた結果、散々に悪口をついて捕えられるなら捕えて見ろといいながら四、五人一度に橋の欄干から真逆様になって水中へ飛込み、暫くして四、五間も先きの水面にぽっくり浮み出して、一同わアいと囃し立てた事なぞもあった。・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・その並木路は海岸の散歩道で、梢のこまやかな樹木の彼方に低く遠く静かな海の面がのびている。ぽっくりと一人白い軽い外套を羽織った女がその海岸通の並木路の日蔭の間に立って片手を高くあげながらむこうを通ってゆく汽船に挨拶を送っている。 カメラは・・・ 宮本百合子 「ヴォルフの世界」
・・・…… 由子は、今も鮮やかにぽっくり珠の落ちた後の台の形を目に泛べることが出来た。楕円形の珠なりにぎざぎざした台の手が出ているのが、急に支える何ものも無くなった。それでもぎざぎざは頑固にぎざぎざしている。掴んでいるのは空だ。空っぽの囲りで・・・ 宮本百合子 「毛の指環」
・・・ 入った時、改って体が真直になるような感じでなく吻っと安らかになり、先ずぽっくりと腰を下ろして、呑気に雑談でも出来るようにありたく思います。 食堂との境は、左右に開く木扉で区切っても、単に大きい帳を用ってもよいでしょう。 此・・・ 宮本百合子 「書斎を中心にした家」
・・・こんな事を云ってとがめもされなかったもんで、ひまさえあればその格子をチアランと云わせながら「お妙ちゃんは? 雛勇さんは?」こんな事を云ってぽっくりの群の中に雪駄が妙に見える様に濃化粧に唐人まげに云(ったなまめいた人の群に言葉から様子までまる・・・ 宮本百合子 「ひな勇はん」
・・・今一人は木の皮で編んだ帽をかぶって、足には木履をはいている。どちらも痩せてみすぼらしい小男で、豊干のような大男ではない。 道翹が呼びかけたとき、頭を剥き出した方は振り向いてにやりと笑ったが、返事はしなかった。これが拾得だと見える。帽をか・・・ 森鴎外 「寒山拾得」
出典:青空文庫