・・・おげんはとぼとぼとした車夫の歩みを辻車の上から眺めながら、右に曲り左に曲りして登って行く坂道を半分夢のように辿った。 弟達――二番目の直次と三番目の熊吉とは同じ住居でおげんの上京を迎えてくれた。おげんが心あてにして訪ねて行った熊吉はまだ・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・一曲りずつ下りるにつれて、女の歌っているのがおいおいに鮮かに聞き取れる。「ねんねしなされ、おやすみなされ。鶏がないたら起きなされ」と歌う。艶やかな声である。「おきて往なんせ、東が白む。館々の鶏が啼く」と丘を下りてしまうと、歌うのは角・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・歯が、ぼろぼろに欠け、背中は曲り、ぜんそくに苦しみながらも、小暗い露路で、一生懸命ヴァイオリンを奏している、かの見るかげもない老爺の辻音楽師を、諸君は、笑うことができるであろうか。私は、自身を、それに近いと思っている。社会的には、もう最初か・・・ 太宰治 「鴎」
・・・老憊の一生活人へ、まこと敬虔の心でお礼を申し述べ、教えられたとおりの路をあやまたずに三曲りして、四曲りした角に、なんなく深田久弥のつつましき門札を見つけた。かねて思いはかっていたよりも十倍くらいきちんとしたお宅だったので、これは、これは、と・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・あなたに絵を見てもらって、ほめられて、そうして、あなたのお家の近くに間借りでもして、お互いまずしい芸術家としてお友だちになりたいと思っていました。私は狂っていたのです。あなたに面罵せられて、はじめて私は、正気になりました。自分の馬鹿を知りま・・・ 太宰治 「水仙」
・・・どんな人でも、僕の家に間借りして、同じ屋根の下に住んでみたら、田舎教師という者のケチ臭いみじめな日常生活には、あいそが尽きるに違いないんだ。殊につい最近、東京から疎開して来たばかりの若い娘さんの眼には、もうとても我慢の出来ない地獄絵のように・・・ 太宰治 「春の枯葉」
・・・これから二つ目の横町を右へお曲がりになる所の角へお持ちになりますと。」「なんだい、それは。その角に持って行ってどうするのだい。」「質店でございます。勲章なら、すぐに十マルクは御用立てます。官立典物所なんぞへお持ちになったって、あそこ・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・ しかしそれでは、わざわざ出て来たかいがないと考える人もある。曲がりなりにでも自分の目で見て自分の足で踏んで、その見る景色、踏む大地と自分とが直接にぴったり触れ合う時にのみ感じ得られる鋭い感覚を味わわなければなんにもならないという人があ・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・にはやはり父に連れられて高知浦戸湾の入口に臨む種崎の浜に間借りをして出かけた。以前に宅に奉公していた女中の家だったか、あるいはその親類の家だったような気がする。夕方この地方には名物の夕凪の時刻に門内の広い空地の真中へ縁台のようなものを据えて・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・下谷のある町の金貸しの婆さんの二階に間借りして、うら若い妻と七輪で飯を焚いて暮している光景のすぐあとには、幼い児と並んで生々しい土饅頭の前にぬかずく淋しい後姿を見出す。ティアガルテンの冬木立や、オペラの春の夜の人の群や、あるいは地球の北の果・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
出典:青空文庫