・・・ これに較べて、無名の自適な詩人に、また田舎で暮す百姓の中に、誠に、人間らしく、自分の生活に生きている人がある。その方が、どれ程、私には、羨ましく、貴いか知れないのである。 春になって、花が咲いても、初夏が至って、新緑に天地はつゝま・・・ 小川未明 「自由なる空想」
・・・『彼は、其の日暮らしに、追われている』と、いう蔑視から、資本家や、編輯者等が、いまだ一介の無名の文筆家に対して、彼等の立場から、冷遇しなかったと何んで言えよう。況んや、私のように、逆境に立ち、尚お且つ反抗の態度に出て来た者を同情するより憎む・・・ 小川未明 「貧乏線に終始して」
・・・いや、大阪弁だけではない、小説家は妙に会話の書き方を無視するが、会話が立派に書けなければ一人前の小説家ではない。無名の人たちの原稿を読んでも、文章だけは見よう見真似の模倣で達者に書けているが、会話になるとガタ落ちの紋切型になって失望させられ・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
彼は人気者になら誰とでも会いたがった。しかし、人気者は誰も彼に会おうとしなかった。いうまでもなく彼は一介の無名の市井人だった。 野坂参三なら既にして人気者であり、民主主義の本尊だから、誰とでも会うだろう。彼はわざわざ上・・・ 織田作之助 「民主主義」
・・・「いや、それは僕は、作家という立場からして、この会の成立ちとか成行きとかいうことには関係しないけれど、しかしたんに出版屋という立場から考えたなら、無名であって同時に貧乏な人間を歓迎しないということは、むしろ当然じゃないか……」「まあ・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・大津は無名の文学者で、秋山は無名の画家で不思議にも同種類の青年がこの田舎の旅宿で落ち合ったのであった。『もう寝ようかねエ。随分悪口も言いつくしたようだ。』 美術論から文学論から宗教論まで二人はかなり勝手にしゃべって、現今の文学者や画・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・に接して、私は埋もれたる無名不遇の天才を発見したと思って興奮したのである。 嘘ではないか? 太宰は、よく法螺を吹くぜ。東京の文学者たちにさえ気づかなかった小品を、田舎の、それも本州北端の青森なんかの、中学一年生が見つけ出すなんて事は、ま・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・未だ無名の文士だ。私は、失敗者だ。小説も書いた、画もかいた、政治もやった、女に惚れた事もある。けれどもみんな失敗、まあ隠者、そう思っていただきたい。大隠は朝市に隠る、と。」先生は少し酔って来たようである。「へへ、」大将はあいまいに笑った・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・という日本の無名の貧しい作家の、頗る我儘な言い訳に拠って、いまは、ゆるしていただきます。冗談にもせよ、人の作品を踏台にして、そうして何やら作者の人柄に傷つけるようなスキャンダルまで捏造した罪は、決して軽くはありません。けれども、相手が、一八・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・ただ、私が四十ちかくに成っても未だに無名の下手な作家だ、と申し上げても、それは決して私の卑屈な、ひがみからでも無し、不遇を誇称して世の中の有名な人たちに陰険ないやがらせを行うというような、めめしい復讐心から申し上げているのでもないので、本当・・・ 太宰治 「風の便り」
出典:青空文庫