・・・丁度兄の伊藤八兵衛が本所の油堀に油会所を建て、水藩の名義で金穀その他の運上を扱い、業務上水府の家職を初め諸藩のお留守居、勘定役等と交渉する必要があったので、伊藤は専ら椿岳の米三郎を交際方面に当らしめた。 伊藤は牙籌一方の人物で、眼に一丁・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・そして貯金宣伝をする以上、自分も貯金しなくてはおかしいと思って、毎月十円ずつ禁酒貯金をするほかに、もう一つ私は秋山名義の貯金帳をこしらえました。秋山というのは、中之島公園で私を拾ってくれたあの拾い屋です。私はその人を命の恩人と思い、今は行方・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・「いや別にどうもなくて無事で来ましたがね、じつは今度いっさい家の方の始末をつけ、片づける借金は片づけ、世帯道具などもすべてGに遣ってしまって、畑と杉山だけ自分の名義に書き替えて、まったく身体一つになって出てきたんだそうですよ。親戚へもほ・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・私たちの村はもう一つ先きの駅なのだが、父が村にわずかばかし遺して行ってくれた畑などの名義の書き替えは、やはりここの登記所ですませねばならなかった。それだけが今度の残務だった。「登記所の方がすんだら、明日はどうしましょうか」「そうねえ・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・それでいったいどんな文句の葉書が皆さんのところへ送られたのか、じつは私としてはまったく突如に皆さんの御承諾の御返事をいただいたような始末でして……まったく発起人という名義を貸しただけでして……発起人としてかようなことを申しあげるのは誠に失礼・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・そこで名義さえ附くと好い。ボスニア産のプリュウンであろうが、機関車であろうが、レンブラントの名画であろうが、それを大金で買って、気に入らないから、直ぐに廉価に売るには、何の差支もない。これは立派な売買である。仲買にたっぷり握らせて、自分も現・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・そのうちのどれだっかた東京の名妓の写真が一枚ずつ紙函に入れてあって、ぽん太とかおつまとかいう名前が田舎の中学生の間にも広く宣伝された。煙草の味もやはり甘ったるい、しつっこい、安香水のような香のするものであったような気がする。 今の朝日敷・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・吉原は大江戸の昔よりも更に一層の繁栄を極め、金瓶大黒の三名妓の噂が一世の語り草となった位である。 両国橋には不朽なる浮世絵の背景がある。柳橋は動しがたい伝説の権威を背負っている。それに対して自分は艶かしい意味においてしん橋の名を思出す時・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・第二には、両親は逗子とか箱根とかへ家中のものを連れて行くけれど、自分はその頃から文学とか音楽とかとにかく中学生の身としては監督者の眼を忍ばねばならぬ不正の娯楽に耽りたい必要から、留守番という体のいい名義の下に自ら辞退して夏三月をば両親の眼か・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・裸体を見せる女は芸者ではないが、商売上名義だけ芸者ということになっていたので、見たいと思うお客は馴染の茶屋から口をかけて呼んでもらうのである。一座敷時間は十分間ぐらいで、報酬は拾五円が普通、それ以上御好みのきわどい芸をさせるには二、三十円で・・・ 永井荷風 「裸体談義」
出典:青空文庫