・・・が、その時さえこの川は、常夏の花に紅の口を漱がせ、柳の影は黒髪を解かしたのであったに―― もっとも、話の中の川堤の松並木が、やがて柳になって、町の目貫へ続く処に、木造の大橋があったのを、この年、石に架かえた。工事七分という処で、橋杭が鼻・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・ が、もう目貫の町は過ぎた、次第に場末、町端れの――と言うとすぐに大な山、嶮い坂になります――あたりで。……この町を離れて、鎮守の宮を抜けますと、いま行こうとする、志す処へ着く筈なのです。 それは、――そこは――自分の口から申兼ねる・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・ 家名も何も構わず、いまそこも閉めようとする一軒の旅籠屋へ駈込みましたのですから、場所は町の目貫の向へは遠いけれど、鎮守の方へは近かったのです。 座敷は二階で、だだっ広い、人気の少ないさみしい家で、夕餉もさびしゅうございました。・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・しかしこんな事は、金沢の目貫の町の商店でも、経験のある人だから、気短にそのままにしないで、「誰か居ませんか、」と、もう一度呼ぶと、「はい、」とその時、媚かしい優しい声がして、「はい、」と、すぐに重ね返事が、どうやら勢がなく、弱々しく聞えたと・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・奉天城内の四平街と云えば目抜きの場所だ。君覚えているだろう? 平生は、人間や洋車や馬車が雑沓しているところだ。三階、四階の青や朱で彩色した高楼が並んでいる。それが今はすっかり扉を閉め切って猫の仔一匹いない。一昨日そこへ行ってみた。どの家にも・・・ 黒島伝治 「防備隊」
・・・父は浦和から出て、東京京橋の目貫な町中に小竹の店を打ち建てた人で、お三輪はその家附きの娘、彼女の旦那は婿養子にあたっていた。この二人の間に生れた一人子息が今の新七だ。お三輪が小竹の隠居と言われる時分には、旦那は疾くにこの世にいない人で、店も・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・折からこの地の祇園祭で樽神輿を舁いだ子供や大供の群が目抜きの通りを練っていた。万燈を持った子供の列の次に七夕竹のようなものを押し立てた女児の群がつづいて、その後からまた肩衣を着た大人が続くという行列もあった。東京でワッショイ/\/\というと・・・ 寺田寅彦 「高原」
・・・寺から起こった火事はおりからの南西風に乗じて芝桜田から今の丸の内を焼いて神田下谷浅草と焼けつづけ、とうとう千住までも焼け抜けて、なおその火の支流は本郷から巣鴨にも延長し、また一方の逆流は今の日本橋区の目抜きの場所を曠野にした。これは焼失区域・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
・・・物売や車の通るところは、この別天地では目貫きの大通であるらしい。こういう処には、衝立のような板が立ててあって、さし向いの家の窓と窓とが、互に見えないようにしてある。 わたくしは路地を右へ曲ったり、左へ折れたり、ひや合いを抜けたり、軒の下・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・ 雪をよごして零下十二度の夜焚火をする樅の木売りも、モスクワの目抜きの広場からは姿を消した。 レーニングラードの『労働婦人と農婦』は十五万部売って、レーニングラード『プラウダ』を経済的にもりたてている。 主筆が三十六七のギメレウ・・・ 宮本百合子 「モスクワの姿」
出典:青空文庫