・・・ここでおどおどしては俺もお終いだと思うと、眼の前がカッと血色に燃えて、「用って何もありません。ただ歩いているだけです」 呶鳴るように言うと、紀代子もぐっと胸に来て、「うろうろしないで早く帰りなさい」 その調子を撥ね飛ばすよう・・・ 織田作之助 「雨」
・・・僕はどうかするとあの仏殿の地蔵様の坐っている真下が頸を刎ねる場所で、そこで罪人がやられている光景が想像されたり、あの白槇の老木に浮ばれない罪人の人魂が燃えたりする幻覚に悩されたりするが、自分ながら神経がどうかしてる気がして怖くなる……」と、・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・草や虫や雲や風景を眼の前へ据えて、ひそかに抑えて来た心を燃えさせる、――ただそのことだけが仕甲斐のあることのように峻には思えた。「家の近所にお城跡がありまして峻の散歩にはちょうど良いと思います」姉が彼の母のもとへ寄来した手紙にこんな・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・ 叔母のいいけるは昨夜夜ふけて二郎一束の手紙に油を注ぎ火を放ちて庭に投げいだしけるに、火は雨中に燃えていよいよ赤く、しばしは庭のすみずみを照らししばらくして次第に消えゆくをかれは静かにながめてありしが火消えて後もややしばらくは真闇なる庭・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・ 天地の大道に則した善き人間となりたいという願い、『教養と倫理学』――の中に私が書いたような青春のなくてならぬもひとつの要請と、やむにやまれぬこの恋のあくがれとを一つに燃えさしめよ。 善によって女性の美を求め、女性の美によって善を豊・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・ 骨組のしっかりした男の表情には、憎悪と敵愾心が燃えていた。それがいつまでも輝いている大きい眼から消えなかった。 四 百姓たちは、たびたび××の犬どもを襲撃した経験を持っていた。 襲撃する。追いかえされる・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・一週間ほどするうちに、それまで、全く枯野だった草原が、すっかり青くなって、草は萌え、木は枝を伸し、鵞や鶩が、そここゝを這い廻りだした。夏、彼等は、歩兵隊と共に、露支国境の近くへ移って行った。十月には赤衛軍との衝突があった。彼等は、装甲列車で・・・ 黒島伝治 「雪のシベリア」
・・・しこまり切っている女は、召使筋の身分の故からというばかりでは無く、恐れと悲しみとにわなわなと顫えているのは、今下げた頭の元結の端の真中に小波を打っているのにも明らかであり、そして訴願の筋の差逼った情に燃えていることと見える。「…………」・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・待合室はガランとしていてストーヴが燃えていた。その前に、印も何も分らない半纒を着て、ところどころ切れて脛の出ている股引をはいた、赤黒い顔の男が立っていた。汚れた手拭を首にかけていた。龍介は今度は道をかえて、賑やかな通りへ出た。歩きながら、あ・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・炉に焚く火はあかあかと燃えて、台所の障子にも柱にも映っている。いそいそと立ち働くお新が居る。下女が居る。養子も改まった顔付で奥座敷と台所の間を往ったり来たりしている。時々覗きに来る三吉も居る。そこへおげんの三番目の弟に連れられて、しょんぼり・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
出典:青空文庫