・・・だからもっと卑近な場合にしても、実生活上の問題を相談すると、誰よりも菊池がこっちの身になって、いろ/\考をまとめてくれる。このこっちの身になると云う事が、我々――殊に自分には真似が出来ない。いや、実を云うと、自分の問題でもこっちの身になって・・・ 芥川竜之介 「兄貴のような心持」
・・・若い監督も彼の父の質問をもっとありきたりのことのように取っていたのだ。監督は、質問の意味を飲み込むことができると礑たと答えに窮したりした。それはなにも監督が不正なことをしていたからではなく会計上の知識と経験との不足から来ているのに相違ないの・・・ 有島武郎 「親子」
・・・可哀がって遣るから、もっと此方へおいで」といった。 レリヤはこういって顔を振り上げた。犬を誉めた詞の通りに、この娘も可哀い眼付をして、美しい鼻を持って居た。それだから春の日が喜んでその顔に接吻して、娘の頬が赤くなって居るのだ。 クサ・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・A おれはおれに歌を作らせるよりも、もっと深くおれを愛している。B 解らんな。A 解らんかな。しかしこれは言葉でいうと極くつまらんことになる。B 歌のような小さいものに全生命を託することが出来ないというのか。A おれは初・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・ お民は聞いて、火鉢のふちに、算盤を弾くように、指を反らして、「謹さん、もっとですよ。八月十日の新聞までに、八人だったわ。」 と仰いで目を細うして言った。幼い時から、記憶の鋭い婦人である。「じゃ、九人になる処だった。貴女の内・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・「おもしろい、おもしろい、もっとさきを話して聞かせろ。爺さん、ほんとにおもしろいよ」「そいからあなた、十里四方もあった甲斐の海が原になっていました。それで富士川もできました。それから富士山のまわりところどころへ湖水がのこりました。お・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・その不平を吉弥はたびたび僕に漏らすことがあった。もっとも、お君さんをそういう気質に育てあげたのは、もとはと言えば、親たちが悪いのらしい。世間の評判を聴くと、まだ肩あげも取れないうちに、箱根のある旅館の助平おやじから大金を取って、水あげをさせ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・これは架空的の宗教よりも強く、また何等根拠のない道徳よりももっと強くその子供の上に感化を与えている。神を信ずるよりも母を信ずる方が子供に取っては深く、且つ強いのである。実に母と子の関係は奇蹟と云っても可い程に尊い感じのするものであり、また強・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
・・・と銭占屋は渋い顔をして、「さ、お前にも五十銭遺いてくよ。もっとじつは遣りてえんだが、今言うとおり商売がねえんだから、これで勘弁してくんな。」 私も傍で聞いていて諢うのだと思った。女房も始めは笑談にしていたが、銭占屋はどこまでも本気で・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・私も嫉妬しますけど、あの人のは、もっとえげつないんです」 顔の筋肉一つ動かさずに言った。 妙な夫婦もあるものだ。こんな夫婦の子供はどんな風に育てられているのだろうと、思ったので、「お子さんおありなんでしょう?」 と、訊くと、・・・ 織田作之助 「秋深き」
出典:青空文庫