・・・「だからね、そんな、君の考えてるようなもんではないってんだよ、世の中というものはね。もっと/\君の考えてる以上に怖ろしいものなんだよ、現代の生活マンの心理というものはね。……つまり、他に理由はないんさ、要するに貧乏な友達なんか要らないと・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・私は一度充分に眠るともっと楽になるだろうと思って、医師に相談してルミナールを二錠呑ませました。病人は暫くうつうつとしていましたが、其処へ弟がやって来ますと、早速その声をききつけて、直ぐ医者へ行って頓服をもらって来てくれと言います。弟が、今頃・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・いつか峻が抱きすくめてやった時、「もっとぎうっと」と何度も抱きすくめさせた。その時のことが思い出せたのだった。そう思えばそれもいかにも勝子のしそうなことだった。峻は窓を離れて部屋のなかへ這入った。 夜、夕飯が済んでしばらくしてから、・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・光代は傍に聞いていたりしが、それでもあの綱雄さんは、もっと若くって上品で、沈着いていて気性が高くって、あの方よりはよッぽどようござんすわ。と調子に確かめて膝押し進む。ホイ、お前の前で言うのではなかった。と善平は笑い出せば、あら、そういうわけ・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・の生まれない前のもっと前からすでに気味の悪いところになっているので幾百年かたって今はその根方の周囲五抱えもある一本の杉が並木善兵衛の屋敷の隅に聳ッ立ッていてそこがさびしい四辻になっている。 善兵衛は若い時分から口の悪い男で、少し変物で右・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・そうしているうちには、もともと人生と人間とを知ること浅く、無理な、過大な要求を相手にしているための不満なのだから、相方が思い直して、もっと無理のない、現実に根のある、しんみりした、健実な夫婦生活を立てていこうとするようになる。今さら・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・「どこへも行かずにそこに居ってくれ。もっと取調べにゃならんかもしれん。」 三 憲兵隊は、鉄道線路のすぐ上にあった。赤い煉瓦の三階建だった。露西亜の旅団司令部か何かに使っていたのを占領したものだ。廊下へはどこから・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・ 忠臣という言葉は少し奇異に用いられたが、この人にしてはごもっともであった。実際この主人の忠臣であるに疑いない。しかし主人の耳にも浄瑠璃なんどに出る忠臣という語に連関して聞えたか、「話せッて云ったって、隠すのじゃ無いが、おんなわらべ・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・この前見たときよりも、赤坊はもっと頭が大きく、首がもっと細くなって見えた。そして赤坊らしくなく始終眉をしかめていた。 公判はこの九月から始まった。公判のことについては、その大体はもうお前も知っていることだから、詳しくは書かない。「共・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・そんなに背延びしてはずるいと言い出すものがありもっと頭を平らにしてなどと言うものがあって、家じゅうのものがみんなで大騒ぎしながら、だれが何分延びたというしるしを鉛筆で柱の上に記しつけて置いた。だれの戯れから始まったともなく、もう幾つとなく細・・・ 島崎藤村 「嵐」
出典:青空文庫