・・・なるならなるで遣っている。元子は切ったり毀したりは出来ねえ。Atom は atemnein で切れねえんだという。切れねえという間はその積りで遣っている。切れたって別に驚きゃあしねえ。切れるなら切れるで遣っている。同じ江戸子でも、己は兄きの・・・ 森鴎外 「里芋の芽と不動の目」
・・・ 一人は五十前後だろう、鬼髯が徒党を組んで左右へ立ち別かれ、眼の玉が金壺の内ぐるわに楯籠り、眉が八文字に陣を取り、唇が大土堤を厚く築いた体、それに身長が櫓の真似して、筋骨が暴馬から利足を取ッているあんばい、どうしても時世に恰好の人物、自・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・ 三度目に灸が五号の部屋を覗くと、女の子は座蒲団を冠って頭を左右に振っていた。「お嬢ちゃん。」 灸は廊下の外から呼んでみた。「お這入りなさいな。」と、婦人はいった。 灸は部屋の中へ這入ると暫く明けた障子に手をかけて立って・・・ 横光利一 「赤い着物」
・・・そして戦いの大小深浅がまた人間の価値を左右する。 戦いの態度の純一は、複雑な内生よりも、単純な迷いのない生活にはるかに起こりやすい。それゆえただ純一のゆえに意を安めてはいけない。純一の態度に固執する者はともすれば内容を空疎にする。 ・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
・・・哲学者はこの世界が元子の離合集散に過ぎないこと、現世の享楽の前には何の恐るべきものもないことなどを答える。パウロはますます熱して永生の存在を立証する彼自身の体験について語り始める。物見高いアテネ人は――「ただ新しきことを告げあるいは聞くこと・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
出典:青空文庫