・・・両側の塀の中からは蝉やあぶらやみんみんやおうしの声が、これでもまだ太陽の照りつけ方が足りないとでも云うように、ギン/\溢れていた。そしてどこの門の中も、人気が無いかのようにひっそり閑としていて、敷きつめた小砂利の上に、太陽がチカ/\光ってい・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・「活動や、活動やあ」と二三人の女の子がはやした。「ううん」と勝子は首をふって「『ヨ』ちっとこへ行くの」とまたやっている。「ようちえん?」「いやらし。幼稚園、晩にはあれへんわ」 義兄が出て来た。「早うお出でな。放っ・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・『もう店の戸を引き寄せて置きな、』と主人は怒鳴って、舌打ちをして、『また降って来やあがった。』と独言のようにつぶやいた。なるほど風が大分強くなって雨さえ降りだしたようである。 春先とはいえ、寒い寒い霙まじりの風が広い武蔵野を・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・旅順の城はほろぶともほろびずとても何事か君知るべきやあきびとの家のおきてになかりけり君死にたまふことなかれ××××××は戦ひに××××からは出でまさねかたみに人の血を流し獣の道に死ねよとは・・・ 黒島伝治 「反戦文学論」
・・・どうしても釣れないから、吉もとうとうへたばって終って、 「やあ旦那、どうも二日とも投げられちゃって申訳がございませんなア」と言う。客は笑って、 「なアにお前、申訳がございませんなんて、そんな野暮かたぎのことを言うはずの商売じゃねえじ・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・清水川という村よりまたまた野辺地まで海岸なり、野辺地の本町といえるは、御影石にやあらん幅三尺ばかりなるを三四丁の間敷き連ねたるは、いかなる心か知らねど立派なり。戸数は九百ばかりなり。とある家に入りて昼餉たべけるに羹の内に蕈あり。椎茸に似て香・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・「やあ」という声は双方から一緒に出た。相川の周囲は遽然賑かに成った。「原君、御紹介しましょう」と相川は青木の方を指して、「青木君――大学の英文科に居られる」「ああ、貴方が青木さんですか。御書きに成ったものは克く雑誌で拝見していました・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・「やあ、来た来た、犬殺しの馬車が来た。」と、向いの人が往来でどなりました。肉屋は、「どら。」と言って出て見ました。馬車のうしろには巡査が乗って、野犬はいないかと目を光らせています。「だんな、うちの犬が二ひきとも見えないがだいじょ・・・ 鈴木三重吉 「やどなし犬」
・・・馬鹿めが煖炉に火を絶やしやあがったな」なんかんというのよ。それからどうかすると、内に帰って来て上沓を穿こうと思うと、目っからないのね。マリイが棚の下に入れて置いたでしょう。ああ、こんなことを言ってここで亭主の蔭事を言っては済・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・ とたずねたら、兄は、「やあ、しまった。おれは、ウメカワじゃ無いんだ。」と言って、顔を真赤になさいました。もう、名刺を、友人や先輩、または馴染の喫茶店に差し上げてしまっていたのです。印刷所の手落ちでは無く、兄がちゃんと UMEKAWA ・・・ 太宰治 「兄たち」
出典:青空文庫