・・・は大阪と神戸の中間、つまり阪神間の有閑家庭を描いたものであって、それだけに純大阪の言葉ではない。大阪弁と神戸弁の合の子のような言葉が使われているから、読者はあれを純大阪の言葉と思ってはならない。そういえば、宇野氏の「枯木の夢」に出て来る大阪・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・総領の新太郎は放蕩者で、家の職は手伝わず、十五の歳から遊び廻ったが、二十一の時兵隊にとられて二年後に帰って来ると、すぐ家の金を持ち出して、浅草の十二階下の矢場の女で古い馴染みだったのと横浜へ逃げ、世帯を持った翌月にはもう実家へ無心に来た。父・・・ 織田作之助 「妖婦」
・・・スルト其奴が矢庭にペタリ尻餠を搗いて、狼狽た眼を円くして、ウッとおれの面を看た其口から血が滴々々……いや眼に見えるようだ。眼に見えるようなは其而已でなく、其時ふッと気が付くと、森の殆ど出端の蓊鬱と生茂った山査子の中に、居るわい、敵が。大きな・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・もしそこに住んでいる人の誰かがこの崖上へ来てそれらの壁を眺めたら、どんなにか自分らの安んじている家庭という観念を脆くはかなく思うだろうと、そんなことが思われた。 一方には闇のなかにきわだって明るく照らされた一つの窓が開いていた。そのなか・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・けれどもその家庭にはいつも多少の山気が浮動していたという証拠には、正作がある日僕に向かって、宅には田中鶴吉の手紙があると得意らしく語ったことがある。その理由は、桂の父が、当時世間の大評判であった田中鶴吉の小笠原拓殖事業にひどく感服して、わざ・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・子どもを可愛がる夫婦というのはよそ目にも美しく、その家庭は安泰な感じがするものだ。 人間は社会生活をして生きているから、夫婦の生活をささえ子どもを養、教育していくことは生活の「たたかい」を意味する。この闘いに協同戦線を張って助け合うこと・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・ 彼等は、家庭の温かさと、情味とに飢え渇していた。西伯利亜へ来てから何年になるだろう。まだ二年ばかりだ。しかし、もう十年も家を離れ、内地を離れているような気がした。海上生活者が港にあこがれ、陸を恋しがるように、彼等は、内地にあこがれ、家・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・こういう家庭のありさまでしたから、近来私の一家族の中に、学校へ行くのに眼が覚めぬなどというもののあるのを聞くと、思わず知らず可笑しく思う位です。 学校へゆくほど面白いことは無いと思って居たため、小学校へ通って居る間一日も欠席したことは無・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・ 旧足軽の一人が水を担いで二人の側を会釈して通った。 矢場は正木大尉や桜井先生などが発起で、天主台の下に小屋を造って、楓、欅などの緑に隠れた、極く静かな位置にあった。丁度そこで二人は大尉と体操の教師とに逢った。まだ他の顔触も一人二人・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ この半ば家庭のような学校から、高瀬は自分の家の方へ帰って行くと、頼んで置いた鍬が届いていた。塾で体操の教師をしている小山が届けてくれた。小山の家は町の鍛冶屋だ。チョン髷を結った阿爺さんが鍛ってくれたのだ。高瀬はその鉄の目方の可成あるガ・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
出典:青空文庫