・・・げしき折々も、山に入りて薪をとり、露深き草を分けて、深山に下り芹を摘み、山河の流れも早き巌瀬に菜をすすぎ、袂しほれて干わぶる思ひは、昔人丸が詠じたる和歌の浦にもしほ垂れつつ世を渡る海士も、かくやと思ひ遣る。さま/″\思ひつづけて、観念の牀の・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・おのずと聞き逸すまいと思って耳を立てて聞くと、「なあ甲助、どうせ養子をするほども無い財産だから、嚊が勧める嚊の甥なんぞの気心も知れねえ奴を入れるよりは、怜悧で天賦の良いあの源三におらが有ったものは不残遣るつもりだ。そうしたらあいつの事だから・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・大きくない魚を釣っても、そこが遊びですから竿をぐっと上げて廻して、後ろの船頭の方に遣る。船頭は魚を掬って、鉤を外して、舟の丁度真中の処に活間がありますから魚を其処へ入れる。それから船頭がまた餌をつける。「旦那、つきました」と言うと、竿をまた・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・其キャッと云って吃驚するのが如何にも面白いので、後には態と紐を引ぱって踏みそうなところへ出して置いて遣るのです。彼のお蝶さんという方なども私の後へ廻って清書の世話などを焼く時に、つい知らずに踏みつけて吃驚した一人でした。犬に吠えられるのは怖・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・これは紙鳶を破るような拙なことを仕無いのと、一つは破れた紙鳶でも繕うことが上手であったからで、今でも私の手にかければ何様な紙鳶でも非常に良い紙鳶に仕て見せます、ハハハ。で、糸目の着加減を両かしぎというのにして、右へでも左へでも何方へでも遣り・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・頼りになる子も無く、財産を分けて遣る楽みも無く、こんな風にして死んで了うのか、そんなことを心細く考え易い年頃でありながら、何ぞというと彼は癖のように、「まだそんな耄碌はしないヨ」と言って見る方の人だった。有り余る程の精力を持った彼は、これま・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・内のちび達にこれを遣るのだわ。これがリイザアのよ。好い人形でしょう。目をくるくる廻して、首がどっちへでも向くのよ。好いじゃないか。このコルクのピストルはマヤに遣るの。(コルクを填こわくって。わたしがお前さんを・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・併し此場を立ち上がって、あの倒れている女学生の所へ行って見るとか、それを介抱して遣るとか云う事は、どうしても遣りたくない。女房はこの出来事に体を縛り付けられて、手足も動かされなくなっているように、冷淡な心持をして時の立つのを待っていた。そし・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・と書きはじめて、それからまた少し書きすすめていって、破る。「私には未だ随筆が書けないのかも知れない。」と書いて、また破る。「随筆には虚構は、許されないのであって、」と書きかけて、あわてて破る。どうしても、言いたい事が一つ在るのだが、何気なく・・・ 太宰治 「作家の像」
・・・あら、あなたはこの原稿を破るおつもり? およしなさいませ。このような文学に毒された、もじり言葉の詩とでもいったような男が、もし小説を書いたとしたなら、まずざっとこんなものだと素知らぬふりして書き加えでもして置くと、案外、世のなかのひとたちは・・・ 太宰治 「猿面冠者」
出典:青空文庫