・・・よく考えてみると人間の場合でも、各自が完全に自己を保存するように努力さえしていれば結局はすべての他のものの保存に有利であるという場合がかなり多いような気がする。人を苦しめ泣かせる行為は結局自分をいじめ殺す行為であるような気もするのである。・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
・・・赤熱した岩片が落下して表面は急激に冷えるが内部は急には冷えない、それが徐々に冷える間は、岩質中に含まれたガス体が外部の圧力の減った結果として次第に泡沫となって遊離して来る、従って内部が次第に海綿状に粗鬆になると同時に膨張して外側の固結した皮・・・ 寺田寅彦 「小浅間」
・・・従って天然界のある状態がその人間に有利なるか不利なるかは時と場所とによりて変化す。例えば水草を追って移牧する未開人にとりては時とともに利害の係る土地の範囲を移動す。また一つの都府の市民というごとき抽象的の団体を考うる時はその要素たる各個人と・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・この夕刊売りの娘を後に最後の瞬間において靴磨きのために最有利な証人として出現させるために序幕からその糸口をこしらえておかなければならないので、そのために娘の父を舞台の彼方で喘息のために苦悶させ、それに同情して靴磨きがたった今、ダンサーから貰・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・あとで考えてみると、これは建物の自己週期が著しく長いことが有利であったのであろうと思われる。震動が衰えてから外の様子を見に出ようと思ったが喫茶店のボーイも一人残らず出てしまって誰も居ないので勘定をすることが出来ない。それで勘定場近くの便所の・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・ 根津の遊里は斯くの如く一時繁栄を極めたが、明治二十一年六月三十日を限りとして取払われ、深川洲崎の埋立地に移転を命ぜられた。娼家の跡は商舗または下宿屋の如きものとなったが、独八幡楼の跡のみ、其の庭園の向ヶ岡の阻崖に面して頗幽邃の趣をなし・・・ 永井荷風 「上野」
・・・ 吉原の遊里は今年昭和甲戌の秋、公娼廃止の令の出づるを待たず、既に数年前、早く滅亡していたようなものである。その旧習とその情趣とを失えば、この古き名所はあってもないのと同じである。 江戸のむかし、吉原の曲輪がその全盛の面影を留めたの・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・三十幾年のむかし、洲崎の遊里に留連したころ、大門前から堀割に沿うて東の方へ行くとすぐに砂村の海辺に出るのだという事を聞いて、漫歩したことがあったが、今日記憶に残っているのは、蒹葭の唯果も知らず生茂った間から白帆と鴎の飛ぶのを見た景色ばかりで・・・ 永井荷風 「元八まん」
・・・個人生活と階級人としての連帯的活動とが二元的な互に遊離したものとして承認され、階級的な活動の邪魔にさえならなければ、個人的な生活の面では何をしようとそれはその人の勝手であるという考えかたがあったらしい。このことを、当時性関係の面で論議をかも・・・ 宮本百合子 「新しい一夫一婦」
・・・代々政治になれている特権者たちは、おだやかさを求めている人々の心を捕えて、自身の強権的な立場へ有利に利用するために、共産主義までをファシズムと同様に「全体主義」という新しい言葉でいいくるめています。 小泉信三氏の『共産主義批判の常識』の・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
出典:青空文庫