・・・なんせ、痩せおとろえひょろひょろの細い首しとるとこへもって来て、大きな髪を結うとりまっしゃろ。寝ぼけた眼で下から見たら、首がするする伸びてるように思うやおまへんか。ところで、なんぜ油を嘗めよったかと言うと、いまもいう節で、虐待されとるから油・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・ 私は木綿の厚司に白い紐の前掛をつけさせられ、朝はお粥に香の物、昼はばんざいといって野菜の煮たものか蒟蒻の水臭いすまし汁、夜はまた香のものにお茶漬だった。給金はなくて、小遣いは一年に五十銭、一月五銭足らずでした。古参の丁稚でもそれと大差・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・それをば片一方の眼で視ているので、片一方のは何か堅い、木の枝に違いないがな、それに圧されて、そのまた枝に頭が上っていようと云うものだから、ひどく工合がわるい。身動を仕たくも、不思議なるかな、些とも出来んわい。其儘で暫く経つ。竈馬の啼く音、蜂・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・如何なる処分を受けても苦しくないと云う貴方の証書通り、私の方では直ぐにも実行しますから」 何一つ道具らしい道具の無い殺風景な室の中をじろ/\気味悪るく視廻しながら、三百は斯う呶鳴り続けた。彼は、「まあ/\、それでは十日の晩には屹度引払う・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・…… やがて、新モスの小ぎれ、ネル、晒し木綿などの包みを抱えて、おせいは帰ってきた。「そっくりで、これで六円いくらになりましたわ。綿入り二枚分と、胴着と襦袢……赤んぼには麻の葉の模様を着せるものだそうだから」……彼女は枕元で包みをひ・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・ 私は起きて、押入れの中から、私の書いたものの載っている古雑誌を引張りだして、私の分を切抜いて、妻が残して行った針と木綿糸とで、一つ一つ綴り始めた。皆な集めても百頁にも足りないのだ。これが私の、この六七年間の哀れな所得なのだ。その間に私・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・二十日ばかり心臓を冷やしている間、仕方が無い程気分の悪い日と、また少し気分のよい日もあって、それが次第に楽になり、もう冷やす必要も無いと言うまでになりました。そして、時には手紙の三四通も書く事があり、又肩の凝らぬ読物もして居りました。 ・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・「僕がそんなマニヤのことを言う以上僕にも多かれ少なかれそんな知識があると思っていいでしょう」 その青年の顔にはわずかばかりの不快の影が通り過ぎたが、そう答えて彼はまた平気な顔になった。「そうだ。いや、僕はね、崖の上からそんな興味・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・ホイ、お前の前で言うのではなかった。と善平は笑い出せば、あら、そういうわけで言ったのではありませぬ。ただこうだと言って見たばかりですよ。と顔は早くも淡紅を散らして、いやな父様だよ。と帯締めの打紐を解きつ結びつ。 綱雄といえば旅行先から、・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・「かあいそうなことを言う、しかし実際あの男は、どことなく影が薄いような人であったね、窪田君。」 と鷹見の言葉のごとく、私も同意せざるを得ないのです。口数をあまりきかない、顔色の生白い、額の狭い小づくりな、年は二十一か二の青年を思い出・・・ 国木田独歩 「あの時分」
出典:青空文庫