・・・ その中、洋行しないかということだったので、自分なんぞよりももっとどうかした人があるだろうから、そんな人を遣ったらよかろうと言うと、まアそんなに言わなくても行って見たら可いだろうとのことだったので、そんなら行って見ても可いと思って行った・・・ 夏目漱石 「処女作追懐談」
・・・尤も十二年前に洋行するとき親戚のものが餞別として一本呉れたが、夫はまだ使わないうちに船のなかで器械体操の真似をしてすぐ壊して仕舞った。夫から外国にいる間は常にペンを使って事を足していたし、帰ってから原稿を書かなくてはならない境遇に置かれても・・・ 夏目漱石 「余と万年筆」
・・・ 彼は、待合室から、駅前の広場を眺めた。 陽光がやけに鋭く、砂利を焙った。その上を自動車や、電車や、人間などが、焙烙の上の黒豆のように、パチパチと転げ廻った。「堪らねえなあ」 彼は、窓から外を見続けていた。「キョロキョロ・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・横浜のイギリス埠頭場へ持って来て、洋行を送る処にして見た。やはり落ちつかぬ。月夜の沖遠く外国船がかかって居る景色をちょっと考えたが、また桟橋にもどった。桟橋の句が落ちつかぬのは余り淡泊過ぎるのだから、今少し彩色を入れたら善かろうと思うて、男・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・なし〕どうしてかと云うともし山男が洋行したとするとやっぱり船に乗らなければならない、山男が船に乗って上海に寄ったりするのはあんまりおかしいと会長さんは考えたのでした。 さてだんだん食事が進んではなしもはずみました。「いやじっ・・・ 宮沢賢治 「紫紺染について」
・・・父の洋行留守、夜番がわりにと母が家で食事を与えて居たと云うに過ぎなかったのではなかろうか。その頃の千駄木林町と云えば、まことに寂しい都市の外廓であった。 表通りと云っても、家よりは空地の方が多く、団子坂を登り切って右に曲り暫く行くと忽ち・・・ 宮本百合子 「犬のはじまり」
・・・当時、父は洋行中の留守の家で、若かった母は情熱的な声でそれらの唱歌を高くうたった。母自身は娘時代、生田流の琴と観世の謡とをやって育ったのであった。 九つになった秋、父がロンドンからかえって来た。その頃のロンドンの中流家庭のありようと日本・・・ 宮本百合子 「きのうときょう」
・・・そして政府の放送事業法案にたいして、より具体的にラジオ民主化の可能性をもった放送委員会法要綱を作成した。 現放送委員会の放送委員会要綱は、原則として、国民生活の各面を代表する男女三十名から三十五名をもって構成する。さらにこの多数制の委員・・・ 宮本百合子 「今日の日本の文化問題」
・・・それに瑠璃色の硯屏と白い原稿紙、可愛い円るい傘のスタンド、イギリス産の洋紅に染めつけた麻の敷物なぞ、どれもわたくしの好きなものばかりです。 音楽、絵画その他 近頃は音楽を聴くよりも絵を見ることの方が多いのですが・・・ 宮本百合子 「身辺打明けの記」
・・・高等学校の学生であった頃から父の洋行したい心持はつよく、ロンドンやパリの地図はヴェデカの古本を買って暗記する位であった由。この知識が偶然の功を奏して、当時富士見町の角屋敷に官職を辞していた老父のところへ、洋行がえりの同県人と称して来て五十円・・・ 宮本百合子 「中條精一郎の「家信抄」まえがきおよび註」
出典:青空文庫