・・・お蓮は房楊枝を啣えながら、顔を洗いに縁側へ行った。縁側にはもういつもの通り、銅の耳盥に湯を汲んだのが、鉢前の前に置いてあった。 冬枯の庭は寂しかった。庭の向うに続いた景色も、曇天を映した川の水と一しょに、荒涼を極めたものだった。が、その・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・ ではなぜ我我は極寒の天にも、将に溺れんとする幼児を見る時、進んで水に入るのであるか? 救うことを快とするからである。では水に入る不快を避け、幼児を救う快を取るのは何の尺度に依ったのであろう? より大きい快を選んだのである。しかし肉体的・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・――こう云う調子で、啣え楊枝のまま与兵衛を出ると、麦藁帽子に梅雨晴の西日をよけて、夏外套の肩を並べながら、ぶらりとその神下しの婆の所へ出かけたと云います。 ここでその新蔵の心配な筋と云うのを御話しますと、家に使っていた女中の中に、お敏と・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・しかし今日はぜひ諸君に聞いていただかねばならぬ用事があったことですから悪しからず許してください。 私がこの農場を何とか処分するとのことは新聞にも出たから、諸君もどうすることかといろいろ考えておられたろうし、また先ごろは農場監督の吉川氏か・・・ 有島武郎 「小作人への告別」
・・・お前たちの清い心に残酷な死の姿を見せて、お前たちの一生をいやが上に暗くする事を恐れ、お前たちの伸び伸びて行かなければならぬ霊魂に少しでも大きな傷を残す事を恐れたのだ。幼児に死を知らせる事は無益であるばかりでなく有害だ。葬式の時は女中をお前た・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・さしたての潮が澄んでいるから差し覗くとよく分かった――幼児の拳ほどで、ふわふわと泡を束ねた形。取り留めのなさは、ちぎれ雲が大空から影を落としたか、と視められ、ぬぺりとして、ふうわり軽い。全体が薄樺で、黄色い斑がむらむらして、流れのままに出た・・・ 泉鏡花 「海の使者」
僕は随分な迷信家だ。いずれそれには親ゆずりといったようなことがあるのは云う迄もない。父が熱心な信心家であったこともその一つの原因であろう。僕の幼時には物見遊山に行くということよりも、お寺詣りに連れられる方が多かった。 ・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・内職の、楊枝を辻占で巻いていた古女房が、怯えた顔で――「話に聞いた魔ものではないかのう。」とおっかな吃驚で扉を開けると、やあ、化けて来た。いきなり、けらけらと笑ったのは大柄な女の、くずれた円髷の大年増、尻尾と下腹は何を巻いてかくしたか、縞小・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・「おい、気の毒だがちょっと用事だ。」 と袖から蛇の首のように捕縄をのぞかせた。 膝をなえたように支きながら、お千は宗吉を背後に囲って、「……この人は……」「いや、小僧に用はない。すぐおいで。」「宗ちゃん、……朝の御飯・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ただ一分間、一口含みまして、二三度、口中を漱ぎますと、歯磨楊枝を持ちまして、ものの三十分使いまするより、遥かに快くなるのであります。口中には限りません。精神の清く爽かになりますに従うて、頭痛などもたちどころに治ります。どうぞ、お試し下さい、・・・ 泉鏡花 「露肆」
出典:青空文庫