・・・多くの人の玩弄物になると同時に、多くの人を弄んで、浮きつ沈みつ定めなき不徳と淫蕩の生涯の、その果がこの河添いの妾宅に余生を送る事になったのである。深川の湿地に生れて吉原の水に育ったので、顔の色は生れつき浅黒い。一度髪の毛がすっかり抜けた事が・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・わたくしは老後の余生を偸むについては、唯世の風潮に従って、その日その日を送りすごして行けばよい。雷同し謳歌して行くより外には安全なる処世の道はないように考えられている。この場合わが身一つの外に、三界の首枷というもののないことは、誠にこの上も・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・そうしてその多くの人々に代わって、先生につつがなき航海と、穏やかな余生とを、心から祈るのである。 夏目漱石 「ケーベル先生の告別」
・・・その折は雨も煙りも一度に揺れて、余勢が横なぐりに、悄然と立つ碌さんの体躯へ突き当るように思われる。草は眼を走らす限りを尽くしてことごとく煙りのなかに靡く上を、さあさあと雨が走って行く。草と雨の間を大きな雲が遠慮もなく這い廻わる。碌さんは向う・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・天明の隆盛を来たせしものその力最も多きにおる。天明の余勢は寛政、文化に及んで漸次に衰え、文政以後また痕迹を留めず。 和歌は万葉以来、新古今以来、一時代を経るごとに一段の堕落をなしたるもの、真淵出でわずかにこれを挽回したり。真淵歿せしは蕪・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・見世物小屋の楽屋で、林之助の噂をする時、菓子売の勘蔵に林之助の情事を白状させようと迫る辺、まして、舞台で倒れた後に偶然来た林之助を捉えて、燃えるような口惜しさ、愛着を掻口説く時、お絹は、確に、もう少し余情を持つべきであった。意志の不明瞭な林・・・ 宮本百合子 「気むずかしやの見物」
・・・は欧州文化を早く吸収したクリスチャン出であったのだけれども、自然を描写する場合になると、漢文脈の熟語、形容詞をつかって、こんにちの読者にはふり仮名なしにはよめない麗句で朝日ののぼる姿を描き、あるいは、余情綿々たる和文調で草木の美を叙し、しか・・・ 宮本百合子 「自然描写における社会性について」
・・・は、戦場で、最新式の武器で、兵士という名でそこへ送り出されたそれぞれの国の人民たちに殺し合いをさせるばかりか、軍需生産という巨大な歯車に小経営者の破産をひっかけ、勤労者をしぼり上げ、女子供から年よりの余生までを狩りたてて、独占資本という太い・・・ 宮本百合子 「便乗の図絵」
・・・そういう縁故があれば、A子さんが働いて義理のお姑さんの余生をすごさしてあげなくてもよいということにもなるのでしょうが――。 A子さんが働いてその方の世話を見なければ、とかかれていますが、この働くということばは、どういう内容で云われている・・・ 宮本百合子 「三つのばあい・未亡人はどう生きたらいいか」
・・・そしてその体裁をして荒涼なるジェネアロジックの方向を取らしめたのは、あるいはかのゾラにルゴン・マカアルの血統を追尋させた自然科学の余勢でもあろうか。 しかるにわたくしには初めより自己が文士である、芸術家であるという覚悟はなかった。また哲・・・ 森鴎外 「なかじきり」
出典:青空文庫