・・・ ある日のこと、勇ちゃんのお母さんは、だいぶ髪の伸びた勇ちゃんの頭を見て、「きょうは、お湯をわかしますから、床屋へいっておいでなさい。」とおっしゃいました。勇ちゃんは、床屋へゆくのがきらいでした。それで、いつもおとなしくいったことが・・・ 小川未明 「すいれんは咲いたが」
・・・「かい虫をわかしとりましたんじゃ」 ――一つには峻自身の不検束な生活から、彼は一度肺を悪くしたことがあった。その時義兄は北牟婁でその病気が癒るようにと神詣でをしてくれた。病気がややよくなって、峻は一度その北牟婁の家へ行ったことがあっ・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・私はお気の毒のあまり、言葉につまっていましたら、奥さまはうつむきながら静かに、「ウメちゃん、すまないけどね、あすの朝は、お風呂をわかして下さいね。今井先生は、朝風呂がお好きですから。」 けれども、奥さまが私に口惜しそうな顔をお見せに・・・ 太宰治 「饗応夫人」
・・・案ずるに先生はこのたびの茶会に於いて、かの千利休の遺訓と称せられる「茶の湯とはただ湯をわかし茶をたてて、飲むばかりなるものと知るべし」という歌の心を実際に顕現して見せようと計ったのであろう。ふんどし一つのお姿も、利休七ケ条の中の、 一、・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・しかもその臍の上に一つずつ土瓶が掛けてあってそれが皆茶をわかして居ると思うといよいよ可笑しい。臍があってその上に蜘がぶら下って居るというのは分るかい。へそくも今夜は来るであろサ。おそくも今夜はのしゃれだよ。そんな奴ならいくらもあるよ。笊の中・・・ 正岡子規 「煩悶」
・・・一つ茶をわかして飲もうではないか。あんまりいい景色だから。」 ブドリは持って来たアルコールランプに火を入れて、茶をわかしはじめました。空にはだんだん雲が出て、それに日ももう落ちたのか、海はさびしい灰いろに変わり、たくさんの白い波がしらは・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・きょうは朝のうち『文芸』の随筆をかいて送って、それから雪どけの外気を家一ぱいに流しこんで掃除をして、フロをわかして、すっかり独りでやったのでくたびれてしまった。屋根から雪がすべるひどい音が時々しました。もう今は夜も十一時すぎですが、不図ねる・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ ――○―― 春の暖かさが身内の血をわかして部屋にジーッとして居られないほどその日は好い天気だった。 肇は目覚めるとすぐ、 ああ、どっかへ行って見たい天気だなあ。と思った。 そして第一頭へ浮・・・ 宮本百合子 「蛋白石」
・・・みたいなものを着て、不精に手を袖の中にしっかりと包んで、台所の炉のわきに女中が湯をわかして呉れるのを待って居た。木の枝に火がついて立つ煙が目にしみてしみてたまらないので、「こんな煙っぽくっては眼に悪いねえ。と女中を見ると、崩・・・ 宮本百合子 「農村」
出典:青空文庫