・・・松魚の刺身のつまに生のにんにくをかりかり齧じっているのを見て驚歎した自分は、自宅や親類の人達がどうしてにんにくを喰わないかと思って母に聞いたら、あれを食うと便所が臭くなるからいけないと云うことであった。重兵衛さんの家では差支えのない事が自分・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・それで、特に目につくような赤軸の鉛筆で記事のノートを取るような風をしながら、その鉛筆の不規則な顫動によって彼の代表している犯人の内心の動乱の表識たるべき手指のわななきを見せるというような細かい技巧が要求される。「その男になにか見覚えになる特・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・そこに行くとどうしてもやはり本能的にねずみを捕るようにできている猫にしくものはないと思わないわけにはゆかなかった。 ねずみの跳梁はだんだんに劇烈になるばかりであった。昼間でもちょろちょろ茶の間に顔を出したりした。ある日の夕方二階で仕事を・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・一種のわなです。その辺を見ますと実にそいつが沢山つくってあるのです。私はそこでよほど注意して又歩き出しました。なるべく足を横に引きずらず抜きさしするような工合にしてそっと歩きましたけれどもまだ二十歩も行かないうちに、又ばったりと倒されてしま・・・ 宮沢賢治 「茨海小学校」
・・・団子の二串やそこら、くれてやってもいいのだが、おれはどうもきさまの物言いが気に食わないのでな。やい。何つうつらだ。こら、貴さん」 男は汗を拭きながら、やっと又言いました。「薪をあとで百把持って来てやっから、許してくれろ」 すると・・・ 宮沢賢治 「祭の晩」
・・・第二が『わなに注意せよ。』これは私共のこん兵衛が野原でわなにかかったのを画いたのです。絵です。写真ではありません。第三が『火を軽べつすべからず。』これは私共のこん助があなたのお家へ行って尻尾を焼いた景色です。ぜひおいで下さい。」 二人は・・・ 宮沢賢治 「雪渡り」
・・・――他人の中よりはいいわな、何てっても血道だもんなあ」 沢や婆は、又返事をしなかった。彼女は手間をかけて信玄袋の口をあけ、中から長田の女隠居のくれた頭巾と着物を出した。「――これを御隠居さんにいただきましたよ」 植村の婆さんは、・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・又思うのみならず其を信じて疑わない。けれども、信じ安じるべきであるに拘らず、その不愉快さは依然としてドス黒いかたまりを、朗らかな胸中に一点の波紋を保って存在して居るのである。 馬琴もそうだったのかなと、思った。 そして、力を得たよう・・・ 宮本百合子 「樹蔭雑記」
・・・ドイツの国会放火事件ばかりでなく、世界の人民のたたかいは、いつもデマゴギーと挑発のわなをしむけられる。日本のこれまでの現実をみても、テロを行ったのは、どういう人たちであったか。 桑原武夫氏が十日の毎日で「引揚げ」という文中に、インターナ・・・ 宮本百合子 「「推理小説」」
・・・ 一年にたった三度しか会わなかったり、一月中毎日毎日行ききして居たり、気まぐれなはたから見ると、かっちまりのないつきあいをして居ながら一度もいやなかおもした事なく、腹を立てた事なく、おだやかに五年の年月は二人の頭の上を走りすぎて行った。・・・ 宮本百合子 「つぼみ」
出典:青空文庫