・・・交換学生としてイタリーへ一人の日本の若い女性が派遣される誇りは、新潟から売られて東京へ出て来る三十人の少女の心が理解するには余り縁の遠い文化の一ポーズなのである。〔一九三六年十二月〕 宮本百合子 「暮の街」
・・・シャウフェルは、父親に、ケーテが完成するまで自分の画塾に止るようにすすめたが、それが実現しないうちに、シャウフェル自身がイタリーのフローレンス市へ去らなければならないことになった。「彼の辛い人間としての運命の道を終るべく」フローレンスに・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
・・・広大な地域をなかばアジアになかば西欧にしめるスラブ人も、イタリーや、フランスがそれを経験したようには経験しなかった。近ごろ、シェクスピアの芸術が、ルネッサンス時代における人間解放の典型としてふたたび評価されている。日本でも、近ごろ「真夏の夜・・・ 宮本百合子 「現代の主題」
・・・そこへ幸福の観念を固定させたのだが、それに対して、いつの時代にも生存した特別に心情の活溌なある種の人々は、皮肉に人生のありのままを感じ観察していて、例えばイタリーのボッカチオという詩人は坊主くさくかためた天国地獄の絵図を、きわめてリアルに機・・・ 宮本百合子 「幸福の感覚」
・・・ 二、一五八、〇〇〇、〇〇〇 一九二九年 二、六六一、〇〇〇、〇〇〇世界で、どこが一番多くいろんな名称の本を出しているか デンマーク 三・三 ポーランド 六・五 イタリー 六・九 アメリカ ・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェト同盟の文化的飛躍」
・・・ ナチス政権の下においてドイツ人民が苦しんだとおり、ファシスト・イタリーでイタリー人民が苦しんだとおり日本の人民がその生活の歴史に前例のなかった程深刻な犠牲を強いられた事実を語るものです。 そしてドイツやイタリーにおいて誤った政権の・・・ 宮本百合子 「国際民婦連へのメッセージ」
・・・私の机の上には、クロームの腕時計[自注24]に小さい金の留金のついたのが、イタリー風の彫刻をした時計掛にかかってのっている。この時計は不正確なような正確なような愛嬌のある奴です。この頃は大体正確でね。日に幾度か私に挨拶をされています。夏にな・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ この深い思いは、決して日本の婦人、イタリーやドイツの婦人たちだけの思いではありませんでした。ファシズムに対してたたかって、それに勝利したすべての民主的な国々にも、戦争による未亡人はどっさり出来ました。一九四六年の新しい年は、世界じゅう・・・ 宮本百合子 「今年こそは」
・・・そういう人たちはイタリーにファッシストができたから、それが拡がってドイツのナチスになり、ドイツのナチスはイギリスに拡がるばかりか東洋の国々にもやがて拡がって来るであろうし、拡がって来るのが当然であるという論法を立てる。はたしてそうであろうか・・・ 宮本百合子 「今日の文化の諸問題」
・・・ 例えば、同じヨーロッパの中でもスペインやイタリー、ギリシャのような南方の諸国の自然と、ドイツ、ロシアなどのような北方の国々とでは、気候によって咲く花が違い空の色がちがうように、言語の発声法が異り、人々の気質がちがって来ている。ナポリの・・・ 宮本百合子 「自然描写における社会性について」
出典:青空文庫