・・・ステインド・グラスから漏れる光線は、いくつかの細長い窓を暗く彩って、それがクララの髪の毛に来てしめやかに戯れた。恐ろしいほどにあたりは物静かだった。クララの燃える眼は命の綱のようにフランシスの眼にすがりついた。フランシスの眼は落着いた愛に満・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・またやや富饒なる西インド中のサンクロア、サントーマス、サンユーアンの三島があります。これ確かに富の源でありますが、しかし経済上収支相償うこと尠きがゆえに、かつてはこれを米国に売却せんとの計画もあったくらいであります。ゆえにデンマークの富源と・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・ ガンジーの母は、ガンジーがロンドンに勉強しに行こうとするとき、インドの母らしい敬虔な心から、わが子がヨーロッパの悪風に染むことを恐れてなかなか許そうとしなかった。決してそんなことのない誓いをさせてやっと許した。 源信僧都の母は、僧・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
此スバーと云う物語は、インドの有名な哲学者で文学者の、タゴールが作ったものです。インド人ですが英国で勉強をし立派な沢山の本を書いています。六七年前、日本にも来た事がありました。此人の文章は実に美しく、云い表わしたい十の・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・寒い時は之に限りますからね、一串は奥さんに、一串は我々にという事にしていただきましょうか、それから、おい誰か、林檎を持っていた奴があったな、惜しまずに奥さんに差し上げろ、インドといってあれは飛び切り香り高い林檎だ。」 私がお茶を持って客・・・ 太宰治 「饗応夫人」
・・・この形式はインドやギリシアの古代からいわゆる哲学者によってすでに探究されはじめ、そうして長い哲学の歴史の流れを追うて次第次第に整理され洗練されて来たものである。それが近代科学の基礎として採用され運用されるようになって以来いっそうの検討と洗練・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・シベリアの農民やモンタナのインド人にこの言葉があるかどうか聞いてみたい。英語やドイツ語やフランス語の風景という言葉にしても、それがわれわれのいう風景とはたしてどこまで内容的に一致するかも研究に値する。それはいずれにしても、日本のように多種多・・・ 寺田寅彦 「カメラをさげて」
・・・また蘭領インドでは「店」が toko である。 マレイの理髪師は tukang chukor また tukang gunting である。 アラビアでは「店」が dukkan, ペルシアでも dukan である。ペルシアの床屋さんは・・・ 寺田寅彦 「言葉の不思議」
・・・ 今年物理学上の功績によってノーベル賞をもらったインド人ラマンの経歴については自分はあまり確かな事を知らないが、人の話によると、インドの大学を卒業してから衣食のために銀行員の下っぱかなんかを勤めながら、楽しみにケンブリッジのマセマチカル・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・ 近ごろあるレストランで友人と食事をしていたら隣の食卓にインドの上流婦人らしい客が二人いて、二人ともその額の中央に紅の斑点を印していた。同じ紅色でも前記の素足の爪紅に比べるとこのほうは美しく典雅に見られた。近年日本の紅がインドへ輸出され・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
出典:青空文庫