・・・少くとも彼女の笑う度にエナメルのように歯の光るのは見事だったのに違いなかった。しかし僕はその歯並みにおのずから栗鼠を思い出した。栗鼠は今でも不相変、赤い更紗の布を下げた硝子窓に近い鳥籠の中に二匹とも滑らかに上下していた。「じゃ一つこれを・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・政治、実業、芸術、科学、――いずれも皆こう云う僕にはこの恐しい人生を隠した雑色のエナメルに外ならなかった。僕はだんだん息苦しさを感じ、タクシイの窓をあけ放ったりした。が、何か心臓をしめられる感じは去らなかった。 緑いろのタクシイはやっと・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・ さまざまな化粧品や、真珠のはまった金の耳輪や、蝶形のピンや、絹の靴下や、エナメル塗った踵の高い靴や、――そういう嵩ばらずに金目になる品々が、哈爾賓から河航汽船に積まれて、松花江を下り、ラホスースから、今度は黒竜江を遡って黒河へ運ばれて・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・薄ぎたないかび臭い場面などはどこにも見られないで、言わば白いエナメルとニッケルの光沢とが全編の基調をなしているようである。どうもこういうのが近ごろのアメリカ映画の一つの定型であるらしい。たとえば「白衣の騎士」などもやはり同じ定型に属するもの・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・それほどではなくてもまつ毛一本も見残さずかいた、金属製の顔にエナメルを塗ったような堅い堅い肖像よりは、後期印象派以後の妙な顔のほうが少なくもねらい所だけはほんとうであるまいかと思われてくる。この考えをだんだんに推し広げて行くと自然に立体派や・・・ 寺田寅彦 「自画像」
・・・隣の奥さんが女のおくれ毛止めを発明したとかで、門には石柱が立っているその家の庭の方では絶えずモーターの音がしているし、エナメルの匂いが苦しく流れて来た。 どの家へ移った原因にも、みんな夫々の生活の時代が語られているのだけれど、その老松町・・・ 宮本百合子 「犬三態」
・・・一九四九年に、この近代擬装エナメルの色どりはげしいギラギラした流れの勢が、どのように猛烈であったかについて『人間』十二月号の丸山真男・高見順対談の中で、高見順が次のように云っている。「芸術家の方も自重しませんと……。終戦後のわれわれの恥・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・夜は九時から十一時前後、ホテルの黒猫は廊下のエナメル痰壺のわきに香箱をつくって種々雑多な色の靴とヤカンの行進を眺めていた。各々の足音が違うように大小恰好の違うヤカンを下げたホテルの住人が汽車から駅の湯沸所へ通うようにホテルの廊下を往来するの・・・ 宮本百合子 「子供・子供・子供のモスクワ」
・・・○石炭のすすで足袋などすぐ黒くなる部屋 ○雪がつもり、窓をふさいだ家の裏側 ○まるで花のない部屋 老ミセス、バチェラー ○大きい猫目石のブローチ ○網レースに、赤くエナメルした小さい小鳥のブローチや花など・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・ 君は、自動車消費者の立場で、それを眺め、ボディーの美しさを味い、このみの色にエナメルする者の立場で、自動車の美について云っているのか、または、エンジンの発達を先ず根本におく自動車製作者の立場でその美をつかみ理解しているのか? 五ヵ年計・・・ 宮本百合子 「ソヴェトの芝居」
出典:青空文庫