・・・それが髪をまん中から割って、忘れな草の簪をさして、白いエプロンをかけて、自働ピアノの前に立っている所は、とんと竹久夢二君の画中の人物が抜け出したようだ。――とか何とか云う理由から、このカッフェの定連の間には、夙に通俗小説と云う渾名が出来てい・・・ 芥川竜之介 「葱」
・・・ 顔のちっとも写らない壊れた小さい鏡の置いてある窓際に坐ると、それでも首にハンカチをまいて、白いエプロンをかけてくれる。この「赤い」床屋さんは瘤の多いグル/\頭の、太い眉をした元船員の男だった。三年食っていると云った。出たくないかときく・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・と私は、店へはいって来た三人連れの職人ふうのお客に向って笑いかけ、それから小声で、「おばさん、すみません。エプロンを貸して下さいな」「や、美人を雇いやがった。こいつあ、凄い」 と客のひとりが言いました。「誘惑しないで下さいよ」と・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・ まっ白いエプロンを掛けている。あれはマダムだ。水を汲みおわって、バケツを右の手に持って、そうしてよろよろと歩きだす。どの家へはいるだろう。空地の東側には、ふとい孟宗竹が二三十本むらがって生えている。見ていたまえ。女は、あの孟宗竹のあい・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・試みに、食堂のなかを覗くと、奉仕の品品の饗応にあずかっている大学生たちの黒い密林のなかを白いエプロンかけた給仕の少女たちが、くぐりぬけすりぬけしてひらひら舞い飛んでいるのである。ああ、天井には万国旗。 大学の地下に匂う青い花、こそばゆい・・・ 太宰治 「逆行」
・・・そうして、エプロンの下から小さい銀のペーパーナイフをちらと覗かせてみせた。「ペーパーナイフを盗むなんて、へんなやつだ。でも、綺麗だと思ったのなら仕様が無い。」 女の子は声を立てずに慟哭をはじめた。美濃は少し愉快になる。よい朝だと思っ・・・ 太宰治 「古典風」
・・・あなたの眠さ、あなたの笑い、あの昼日中、エプロンのかな糸のくず、みんな、そのまんまにもらってしまって、それゆえ、小説も書けないのです。おまえに限ったことではない、書け、書け、苦しさ判って居る、ほんとうか! とおもわず大声たてて膝のむきかえた・・・ 太宰治 「創生記」
・・・たとえば、私が荻窪の下宿にいたとき、近くの支那そばやへ、よく行ったものであるが、或る晩、私が黙って支那そばをたべていると、そこの小さい女中が、エプロンの下から、こっそり鶏卵を出して、かちと割って私のたべかけているおそばの上に、ぽとりと落して・・・ 太宰治 「俗天使」
・・・仏頂づらして足音も荒々しく、部屋へかえると、十七、八の、からだの細長い見なれぬ女中が、白いエプロンかけて部屋の拭き掃除をしていた。 笠井さんを見て、親しそうに笑いながら、「ゆうべ、お酔いになったんですってね。ご気分いかがでしょう。」・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・朗らかに笑って言って素早く母の髪をエプロンで拭いてやり、なんでもないようにその場を取りつくろってくれたのは、妹の節子である。未だ女学生である。この頃から、節子の稀有の性格が登場する。 勝治の小使銭は一月三十円、節子は十五円、それは毎月き・・・ 太宰治 「花火」
出典:青空文庫