・・・そのカンテラやランプの明りに、飴屋の渦巻の看板だの豆屋の赤い日傘だのが、右にも左にもちらつくんだ。が、お蓮はそんな物には、全然側目もふらないらしい。ただ心もち俯向いたなり、さっさと人ごみを縫って行くんだ。何でも遅れずに歩くのは、牧野にも骨が・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・そして、いつかおばあさんの店を出していた場所には、知らぬ背の高い男が、ダリアを地面にたくさん並べていました。カンテラの火は、それらのダリアの花を照らしていました。中に、黒いダリアの花が咲いていました。 あや子は家へ帰ってからも、なおその・・・ 小川未明 「海ほおずき」
・・・山本屋の門には火屋なしのカンテラを点して、三十五六の棒手振らしい男が、荷籠を下ろして、売れ残りの野菜物に水を与れていた。私は泊り客かと思ったら、後でこの家の亭主と知れた。「泊めてもらいたいんですが……」と私は門口から言った。 すると・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・ 振り動かすカンテラの火の尾をひくような、間のびした声で、駅の名を称んでいた。乗って来た汽車をやり過して、線路をこえると、追分宿への一本道が通じていた。浅間山が不気味な黒さで横たわり、その形がみるみるはっきりと泛びあがって来る。間もなく・・・ 織田作之助 「秋の暈」
・・・妙な時刻に着いたものだと、しょんぼり佇んでいると、カンテラを振りまわしながら眠ったく駅の名をよんでいた駅員が、いきなり私の手から切符をひったくった。 乗って来た汽車をやり過してから、線路を越え、誰もいない改札口を出た。青いシェードを掛け・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・乳のあたり、腰から太股のあたりが、カンテラの魔のような仄かな光に揺れて闇の中に浮び上っている。 そこには、女房や、娘や、婆さんがいた。市三より、三ツ年上のタエという娘もいた。 タエは、鉱車が軽いように、わざと少ししか鉱石を入れなかっ・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・豆腐屋の前まで来ると、お仙が門口でカンテラへ油をさしていた。 丘を上る途中で、今朝買わせたばかりの下駄だのに、ぷすり前鼻緒が切れる。元が安物で脆弱いからであろうけれど、初やなぞに言わせると、何か厭なことがある前徴である。しかたがないから・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・夜の三時ごろまでも表の人通りが絶えず、カンテラの油煙が渦巻いていた。明け方近くなっても時々郵便局の馬車がけたたましい鈴の音を立てて三原橋のあたりを通って行った。奥の間の主人主婦の世界は徳川時代とそんなに違わないように見えた。主婦は江戸で生ま・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・小栗判官、頼光の大江山鬼退治、阿波の鳴戸、三荘太夫の鋸引き、そういったようなものの陰惨にグロテスクな映画がおびえた空想の闇に浮き上がり、しゃがれ声をふりしぼるからくり師の歌がカンテラのすすとともに乱れ合っていたころの話である。そうして東京み・・・ 寺田寅彦 「青衣童女像」
・・・坑夫等はもちろん裸体で汗にぬれた膚にカンテラの光を無気味に反映していた。坑内では時々人殺しがある。しかし下手人は決して分らない。こんな話を聞かされたりして威されていたために、いっそうの暑さを感じたのかもしれない。やっと地上へ出たときに白日の・・・ 寺田寅彦 「夏」
出典:青空文庫