・・・電燈もアセチリンもない時代で、カンテラがせいぜいで石油ランプの照明しかなかったがガラスのナンキン玉をつらねた水色のすだれやあかい提燈などを掛けつらねた露店の店飾りはやはり涼しいものであった。近年東京会館の屋上庭園などで涼みながら銀座へんのネ・・・ 寺田寅彦 「涼味数題」
・・・縁日の人出が三人四人と次第にその周囲に集ると、爺さんは煙管を啣えて路傍に蹲踞んでいた腰を起し、カンテラに火をつけ、集る人々の顔をずいと見廻しながら、扇子をパチリパチリと音させて、二、三度つづけ様に鼻から吸い込む啖唾を音高く地面へ吐く。すると・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・ 下町の女の浴衣をば燈火の光と植木や草花の色の鮮な間に眺め賞すべく、東京の町には縁日がある。カンテラの油煙に籠められた縁日の夜の空は堀割に近き町において殊に色美しく見られる。自分は毎年のようにこの年の夏も東京に居残りはしまいか。 も・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・彼は風を厭うともし灯を若木の桐の大きな葉で包んだ。カンテラの光が透して桐の葉は凄い程青く見えて居る。其の青い中にぽっちりと見えるカンテラの焔が微かに動き乍ら蚊帳を覗て居る。ともし灯を慕うて桐の葉にとまった轡虫が髭を動かしながらがじゃがじゃが・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・鬼の国から吹き上げる風が石の壁の破れ目を通って小やかなカンテラを煽るからたださえ暗い室の天井も四隅も煤色の油煙で渦巻いて動いているように見える。幽かに聞えた歌の音は窖中にいる一人の声に相違ない。歌の主は腕を高くまくって、大きな斧を轆轤の砥石・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・まだ少しあかるいのに、青いアセチレンや、油煙を長く引くカンテラがたくさんともって、その二階には奇麗な絵看板がたくさんかけてあったのだ。その看板のうしろから、さっきからのいい音が起っていたのだ。看板の中には、さっきキスを投げた子が、二疋の馬に・・・ 宮沢賢治 「黄いろのトマト」
・・・二人か三人の駅員が、眠げにカンテラをふって歩いて来た。 ――誰も出てない? ――出てない。 荷物を出す番になって赤帽がまるで少ない。みんな順ぐりだ。人気ないプラットフォームの上に立って車掌がおろした荷物の番をしている。足の先に覚・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・二人の日本女は向いの羽目にろうそくを入れた四角なカンテラの吊ってある隅の坐席におさまった。 その車はすいていた。 間もなく一人若い女がやって来て、日本女の前へ席をとった。ソヴェト市民が、その中へパンでも修繕にやる靴でも入れて歩いてい・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・目のとどかないほど高い建物のわきに、――まぼしい電燈のかげに――緋毛氈とカンテラの別の世界が□(よせて哥まろの女のほほ笑みかくれた天才の刀のあとが光る、――斯う思うだけでも私は細く目をつむってほほ笑みながら小さい溜息をつきたくなる。 行・・・ 宮本百合子 「つぼみ」
出典:青空文庫