・・・あたり一体にシンとしてまた如何にもハッキリとした景色、吾等二人は真に画中の人である。「マア何という好い景色でしょう」 民子もしばらく手をやめて立った。 僕はここで白状するが、この時の僕は慥に十日以前の僕ではなかった。二人は決して・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・が、議論はともあれ、初めは微酔気味であったのが段々真剣になって低い沈んだ調子でポツリポツリと話すのが淋しい秋の寂寞に浸み入るような気がして、内心承服出来ない言葉の一つ一つをシンミリと味わせられた。「その女をどうしようッてのだい?」「・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ 間もなく河原町の裏長屋同然の店をひき払って、霞町附近に「川那子メジシン全国総発売元」の看板を掛けた。同じヤマコを張るなら、高目に張る方がよいと、つい鼻の先の通天閣を横目に仰いで、二階建ての屋根の上にばかに大きく高く揚げたのだ。 そ・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ それから牧師の祈りと、熱心な説教、そしてすべてが終わって、堂の内の人々一斉の黙祷、この時のしばしの間のシンとした光景――私はまるで別の世界を見せられた気がしたのであります。 帰りは風雪になっていました。二人は毛布の中で抱き合わんば・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・母屋も広い割合には人気がないかと思われるばかり、シンとしているのです。家にむかいあった崕の下に四角の井戸の浅いのがありまして、いつも清水を湛えていました。総体の様子がどうも薄気味の悪いところで、私はこの坂に来て、武の家の前を通るたびにすぐ水・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・ 兵卒は、水を打ったようにシンとなって、老人の両側に立った。彼等の眼は悉く将校の軍刀の柄に向けられた。 軍刀が引きぬかれ、老人の背後に高く振りかざされた。形而上的なものを追おうとしていた眼と、強そうな両手は、注意力を老人の背後の一点・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・「うら等もシンショウをいれて子供をえろうにしといた方がよかった。ほいたらいつまでもこんな百姓をせいでもよかったんじゃ!」「この鍬をやるか。――もう使うこたないんじゃ。」為吉は納屋の隅から古鍬を出して来た。「それゃ置いときなされ。」ば・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・俗にそれを「シンネコ」というが、実にシンネコでもって大きな船がニョッと横合から顔をつん出して来るやつには弱る、危険千万だ。併し如何に素人でも夜中に船を浮べているようなものは、多少自分から頼むところがあるものが多いので、大した過失もなくて済み・・・ 幸田露伴 「夜の隅田川」
・・・黙ってその児はシンになって浮子を見詰めて釣っている。潮は今ソコリになっていてこれから引返そうというところであるから、水も動かず浮子も流れないが、見るとその浮子も売物浮子ではない、木の箸か何ぞのようなものを、明らかに少年の手わざで、釣糸に徳利・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・留置場でもストーヴの側の監房は少しはよかったが、そうでない処は坐ってその上に毛布をかけていても、膝がシン/\と冷たくなる。朝眼をさますと、皆の寝ている起伏の上に雪が一杯ふりかゝっているので吃驚するが、それは雪が吹きこんできたのではなくて、夜・・・ 小林多喜二 「母たち」
出典:青空文庫