・・・ひとの羨むような美女でも、もし彼女がウェーブかセットを掛けた直後、なまなましい色気が端正な髪や生え際から漂っている時は、私はよしんば少しくらい惚れていても、顔を見るのもいやな気がする。私は今では十五分も女が待てない。女とそれきり会えないと判・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・行進 セットの終ったころ、田島は、そっとまた美容室にはいって来て、一すんくらいの厚さの紙幣のたばを、美容師の白い上衣のポケットに滑りこませ、ほとんど祈るような気持で、「グッド・バイ。」 とささやき、その声が自分でも・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・細かく言えば高価なフィルムの代価やセットの値段はもちろん、ロケーションの汽車賃弁当代から荷車の代までも予算されなければならないのである。これを、詩人が一本の万年筆と一束の紙片から傑作を作りあげ、画家が絵の具とカンバスで神品を生み出すのと比べ・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・ここでポリーの歌う Barbara Song はなかなか美しい。セットのおぼろ夜の空とおぼろ月がかえって本物より効果がいいようである。 情婦ジェニーが市松模様のガラス窓にもたれて歌うところがちょっと、マチスの絵を見るような感じである。・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ たとえば劇場のシーンの中で、舞台の幕があくと街頭の光景が現われる、その町の家並みを舞台のセットかと思っているとそれがほんとうの町になっている。こういう趣向は別に新しくもなくまたなんでもないことのようであるが、しかしやはり映画のスクリー・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・第四にはセットの道具立てがあまり多すぎて、印象を散漫にしうるさくする場合が多い。たとえば「忠弥」の貧民窟のシーンでもがそうである。セットの各要素がかえって相殺し相剋して感じがまとまらない。これらの点についても、監督の任にある人は「俳諧」から・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・「花柳街のセット」「宿屋の帳場」「河原の剣劇」「御寺の前の追駆け」「茶屋の二階の障子の影法師」それから……。それからまたどの映画にも必ず根気よく実に根気よく繰返される退屈な立廻りが、どうも孑ぼうふらの群や蚊柱の運動を聨想させる。これを製作す・・・ 寺田寅彦 「雑記帳より(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ふと私は民間自動車のラジオは許されていず、その設備のある新車体はセットをはずして車体検査を受けねばならぬという事実を想い起し、改めて悠々と走り去るラジオ自動車を眺めた。 宮本百合子 「或る心持よい夕方」
・・・などでもルネ・クレイルは、人間が特別なセットの中でだけ恋愛をするものではないという健全な理解の上に立って、都会生活の描写の中にそれをいかした。レンブラントの生涯を映画化した「描かれた人生」では、一人の芸術家が二様の動機で二人のそれぞれ性格の・・・ 宮本百合子 「映画の恋愛」
・・・そして、たまに音楽の中継なども聴かすのであるが、どういうセットをつかっているのであるか、私のいた方のラジオでは第一放送と第二放送とがごっちゃになって聞えた。新響の放送であろうと思われるような交響楽が鳴り出して、諧調ある美しい音に神経が突然快・・・ 宮本百合子 「芸術が必要とする科学」
出典:青空文庫