・・・生れた場所は南ドイツでドナウの流れに沿うた小都市ウルムである。今のドイツで一番高いゴチックの寺塔のあるという外には格別世界に誇るべき何物をも有たないらしいこの市名は偶然にこの科学者の出現と結び付けられる事になった。この土地における彼の幼年時・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・絵日傘をさした田舎くさいドイツ人夫婦が恐ろしくおおぜいの子供をつれて谷を見おろしていた。 動物園がある。熊にせんべいを買って口の中へ投げ込んでやる。口をいっぱいにあいて下へ落ちたせんべいのありうる可能性などは考えないで悠然として次のを待・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・ ドイツの下宿屋で、室に備え付けの洗面鉢を過ってこわしたある日本人が、主婦に対して色々詫言を云うのを、主婦の方では極めて機嫌よく「いや何でもありません、ビッテ、シェーン」を繰返していた。そうしてその人が永い滞在の後に、なつかしい想いを残・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
・・・「――ドイツのね、ヨゼフ・ディーツゲンという人は、やっぱり皮なめし工という、手工業労働者だったんだ」 しばらくだまっていた倅が、とつぜんそんなこといいだすと、母親は手をやめて、きょとんとした。「――いえさ、おれのような職人だった・・・ 徳永直 「白い道」
ケーベル先生は今日日本を去るはずになっている。しかし先生はもう二、三日まえから東京にはいないだろう。先生は虚儀虚礼をきらう念の強い人である。二十年前大学の招聘に応じてドイツを立つ時にも、先生の気性を知っている友人は一人も停・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生の告別」
・・・という端物の書き出しには、パリーのある雑誌に寄稿の安受け合いをしたため、ドイツのさる避暑地へ下りて、そこの宿屋の机かなにかの上で、しきりに構想に悩みながら、なにか種はないかというふうに、机のひきだしをいちいちあけてみると、最終の底から思いが・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・或日同僚のドイツ人ユンケル氏から晩餐に招かれた。金沢では外国人は多く公園から小立野へ入る入口の処に住んでいる。外国人といっても僅の数に過ぎないが。私はその頃ちょうど小立野の下に住んでいた。夕方招かれた時刻の少し前に、家を出て、坂を上り、ユン・・・ 西田幾多郎 「アブセンス・オブ・マインド」
・・・然るに十九世紀に入っては、ヨーロッパという一つの歴史的世界に於てドイツとフランスとが対立したが、更に進んで窮極する所、全世界的空間に於て、ドイツとイギリスとの二大勢力が対立するに至った。これが第一次世界大戦の原因である。十九世紀は国家的自覚・・・ 西田幾多郎 「世界新秩序の原理」
私はフランス哲学にはドイツ哲学やイギリス哲学と異なった独得な物の見方考え方があると思う。しかし私は今それについて詳しく考え、詳しく書く暇を有たない。ただこれまで人に話したり、或は機に触れて書いたりしたことを、思い出るままに記すだけであ・・・ 西田幾多郎 「フランス哲学についての感想」
・・・そこの先生は私のまだあわない方で実にしゃれたなりをして頭の銀毛などもごく高尚なドイツ刈りに白のモオニングを着て教壇に立っていました。もちろん教壇のうしろの茨の壁には黒板もかかり、先生の前にはテーブルがあり、生徒はみなで十五人ばかり、きちんと・・・ 宮沢賢治 「茨海小学校」
出典:青空文庫