・・・ 風は有っても砂をまきたてるほどでもないので丁度いいかげんにネルの躰を吹いて行く、こののどかなうきうきした娘のような景色の中を恥かしいほど重っくるしい陰気な心持で渚づたいに、別荘のわき、両方から砂丘がせまって一寸したくぼい形になって居る・・・ 宮本百合子 「砂丘」
・・・ 冬、赤いメンネルのしゃつをき、自分でぬいものをもする。「あんたどの位あります」などときく。小柄、白毛。総入れバを時々ガタガタ云わせる。 小さい鼻、目、女のようなところあり、さっぱりせず。 後藤新平の自治に関する・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・ 今年は今っから海岸にでも行ってたらどうです?「今はまだ東京に居とうござんすよ、 今頃の東京は一寸ようござんすからねえ。 ネルの着物を着る頃の銀座の通りが大好きですよ。 かなり長い間おぼえて居られる人を見られるしするから・・・ 宮本百合子 「千世子(三)」
・・・ ○ 紫や黄や朱の縞のある新しいネルの元禄袖を着ているみのえの体から、いい匂いが発散した。 油井は、剪りたての花でも見るようにみのえの坐り姿を見つめていたが、「どうしてそんなに奇麗?」と呟・・・ 宮本百合子 「未開な風景」
・・・にもどことなしに私の心にピッタリとあう、なつかしさとにおいがただよって居る、髪を一寸ながくして内気なかおにかるい笑と力づよさをうかべて一生懸命に話す若い絵書きの前に、私は髪を一束につかねて、じみな色のネルを着てその人の絵絹の上に細筆を走らせ・・・ 宮本百合子 「芽生」
・・・「スチルネルは哲学史上に大影響を与えている人で、無政府主義者と云われている人達と一しょにせられては可哀相だ。あれは本名を Johann Kaspar Schmidt と云って、伯林で高等学校の教師をしていた。有名な、唯一者とその所有を出・・・ 森鴎外 「食堂」
・・・も、スチルネルの「神は幽霊だ」を顧みれば、古いと云わなくてはならない。これも超人という結論が違うのである。 芸術も学問も、パアシイ族の因襲の目からは、危険に見えるはずである。なぜというに、どこの国、いつの世でも、新しい道を歩いて行く人の・・・ 森鴎外 「沈黙の塔」
出典:青空文庫