・・・それが映画ではハッピー・エンドになっている。たぶんこうしなければ一般観客のうけが悪いからであろう。しかしこのことは映画と小説との区別に関して一つの根本的な問題を暗示する。 小説では忠犬を「殺す」ほうが得策であるのに映画では殺さないほうが・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・a, and Ibuki were either founded or reconstructed under his supervision. In Prof. Okada we find a happy combination of・・・ 寺田寅彦 「PROFESSOR TAKEMATU OKADA」
・・・れた作家、不幸の底を知っている心の暖い民衆の芸術家といわれ、辻に立って本をよめぬ人々に小説を朗読したほとんどただ一人の作家なのであるが、私が彼に対してもつもっとも大きい不満の一つは、彼の不幸にはいつもハッピー・エンドがつきものとなっている点・・・ 宮本百合子 「子供のために書く母たち」
・・・は、ある意味でハッピー・エンドの小説である。「冷酷聰明な科学者の態度」から「技術的知識人の生活と医学的ヒューマニズムのために」「野蛮と虚偽から理性を守り、また守るために抵抗する精神」に目醒め、朝田医院をとび出した志摩が、やがて「どうもいまま・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
・・・にしろ、ロマンティックな父親の親友の出現ややがては良人となった富貴な保護者の出現で、物語の境遇が変化させられ、ハッピー・エンドになっていて、女主人公たちの内的成長は、始まりから終りまで云わば性格的なもの、気質的なものの範囲から出ていないので・・・ 宮本百合子 「若き精神の成長を描く文学」
出典:青空文庫