・・・僕の前では君の弟が、ステッキの先へハンケチを結びつけて、それを勢いよくふりながら「兄さん万歳」をくり返している。…… 後甲板には、ロシアの役者が大ぜい乗っていた。それが男は、たいてい、うすぎたない日本の浴衣をひっかけている。いつか本郷座・・・ 芥川竜之介 「出帆」
・・・「木綿及び麻織物洗濯。ハンケチ、前掛、足袋、食卓掛、ナプキン、レエス、……「敷物。畳、絨毯、リノリウム、コオクカアペト……「台所用具。陶磁器類、硝子器類、金銀製器具……」 一冊の本に失望したたね子はもう一冊の本を検べ出した。・・・ 芥川竜之介 「たね子の憂鬱」
・・・U氏は毎日下血しながら役所に通った。ハンケチを巻き通した喉からは皺嗄れた声しか出なかった。働けば病気が重る事は知れきっていた。それを知りながらU氏は御祈祷を頼みにして、老母と二人の子供との生活を続けるために、勇ましく飽くまで働いた。そして病・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・それとなく、ハンケチを出して目を拭きながら座敷を出た。出てからちょっとふり返って見たが、かの女は――分ったのか、分らないのか――突き放されたままの位置で、畳に左の手を突き、その方の袂の端を右の手で口へ持って行った。目は畳に向いていた。 ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・良人沼南と同伴でない時はイツデモ小間使をお伴につれていたが、その頃流行した前髪を切って前額に垂らした束髪で、嬌態を作って桃色の小さいハンケチを揮り揮り香水の香いを四辺に薫じていた。知らないものは芸者でもなし、娘さんでもなし、官員さんの奥様ら・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・ 朝の事をおわるや急ぎて母上の室を入れば、母上と叔母とは火鉢を中にして対したまい、叔母はわが顔を見て物をものたまい得ず、ハンケチにて眼ふきふき一通の手紙を渡したまえり。これ二郎が手紙なり。 文は短けれど読みおわりて繰り返す時わが手振・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・そして何とも言えない嬉しさがこみ上げて来て人知れずハンケチで涙を拭いたよ真実に!」「一寸と君、一寸と『馬鹿野郎!』というような心持というのが僕には了解が出来ないが……そのどういうんだね?」と権利義務の綿貫が真面目で訊ねた。「唯だ東京・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・小山は画板を肩から腋へ掛け畳将几を片手に、薬壜へ水を入れてハンケチで包んだのを片手に。自分はウォーズウォルス詩集を懐にして。 大空は春のように霞んでいた。プルシャンブリューでは無論なしコバルトでも濃い過ぎるし、こんな空色は書きにくいと小・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・末子なぞは汽車の窓のところにハンケチを載せて、ただうとうとと眠りつづけて行った。 東京の朝も見直すような心持ちで、私は娘と一緒に家に帰りついた。私も激しい疲れの出るのを覚えて、部屋の畳の上にごろごろしながら寝てばかりいるような自分を留守・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・時には白いハンケチで鼠を造って、それを自分の頭の上に載せて、番頭から小僧まで集まった仕事場を驚かしたこともある。あんなことをして皆を笑わせた滑稽が、まだまだ自分の気の確かな証拠として役に立ったのか、「面白いおばあさんだ」として皆に迎えられた・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
出典:青空文庫