・・・ 相川は金縁の眼鏡を取除して丁寧に白いハンケチで拭いて、やがてそれを掛添えながら友達の顔を眺めた。「相川君、まだ僕は二三日東京に居る積りですから、いずれ御宅の方へ伺うことにしましょう」こう原は言出した。「いろいろ御話したいこともある・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・ただ一つの屋根窓だけが開いていて、二つの棕櫚の葉の間から白い手が見えて、小さなハンケチを別れをおしんでふるかのようにふっていました。 おかあさんはまた入り口の階段を上ってみますと、はえしげった草の中に桃金嬢と白薔薇との花輪が置いてありま・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・ 長女は伏目がちに、そこまで語って、それからあわてて眼鏡をはずし、ハンケチで眼鏡の玉をせっせと拭きはじめた。これは、長女の多少てれくさい思いのときに、きっとはじめる習癖である。 次男が、つづけた。「どうも、僕には、描写が、うまく・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・兄は、そう言ってハンケチで顔の汗を、やたらに拭いた。 おでんやでも、大騒ぎであった。モオニングの紳士が、ひどくいい機嫌ではいって来て、「やあ、諸君、おめでとう!」と言った。 兄も笑顔で、その紳士を迎えた。その紳士は、御誕生のこと・・・ 太宰治 「一燈」
・・・ かず枝はハンケチを敷いて坐って嘉七に笑われた。かず枝は、ほとんど無言であった。風呂敷包から薬品をつぎつぎ取り出し、封を切った。嘉七は、それを取りあげて、「薬のことは、私でなくちゃわからない。どれどれ、おまえは、これだけのめばいい。・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・車の屋根に乗っている連中は、蝙蝠傘や帽やハンケチを振っておれを呼ぶ。反対の方角から来た電車も留まって、その中でも大騒ぎが始まる。ひどく肥満した土地の先生らしいのが、逆上して真赤になって、おれに追い附いた。手には例の包みを提げている。おれは丁・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・たとえば蓄音機円盤が出勤簿レジスターの円盤にオーバーラップするとか、あるいはしわくちゃのハンケチを持った手を絞り消して絞り明けると白いばらの花束を整える手に変わる。あるいは室内のトランクが汽車の網棚のトランクに移り変わるような種類である。と・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・二度目の殺人など、洗面場で手を洗ってその手をふくハンケチの中からピストルの弾を乱発させるという卑怯千万な行為であるにかかわらず、観客の頭にはあらかじめ被殺害者に対する憎悪という魔薬が注射されているから、かえって一種の痛快な感じをいだかせ、こ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・ 雲取池のみぎわのベンチに、五十格好の婦人が腰かけて、ハンケチで半面をおおったまま、いつまでもじっとして池の面をながめていた。相当な服装をしているが、いかにもやせ衰えている上に、顔一面に何か皮膚病と見えてかびでもはえたような肌合をしてい・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・そしてその文字は楷書であるが何となく大田南畝の筆らしく思われたので、傍の溜り水にハンケチを濡し、石の面に選挙侯補者の広告や何かの幾枚となく貼ってあるのを洗い落して見ると、案の定、蜀山人の筆で葛羅の井戸のいわれがしるされていた。 これは後・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
出典:青空文庫