・・・と何だか驚いているようだが、別に心配そうにも見えない。余は何となく落ちついて来る。「なかなか悪い道です」とハンケチを出して汗を拭いたが、やはり気掛りだから「あの露子さんは――」と聞いて見た。「今顔を洗っています、昨夕中央会堂の慈善音・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・碌さんは腰から、ハンケチを出す。「なるほど、拭くと、着物がどす黒くなる」「僕のハンケチも、こんなだ」「ひどいものだな」と圭さんは雨のなかに坊主頭を曝しながら、空模様を見廻す。「よなだ。よなが雨に溶けて降ってくるんだ。そら、そ・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・女主人はわざわざ出て来て何か指図をしている。ハンケチに一杯ほど取りためたので、余はきりあげて店へ帰って来た。この代はいくらやろうかというと、代はいりませぬという。しかたがないから、少しばかりの茶代を置いて余は馬の背に跨った。女主人など丁寧に・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・だんだん上にのぼって行って、とうとうそのすりばちのふちまで行った時、片手でハンドルを持ってハンケチなどを振るんだ。なかなかあれでひどいんだろう。ところが僕等がやるサイクルホールは、あんな小さなもんじゃない。尤も小さい時もあるにはあるよ。お前・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・ 泣いていた姉もハンケチで眼をふいて外を見ました。青年は教えるようにそっと姉弟にまた云いました。「わたしたちはもうなんにもかなしいことないのです。わたしたちはこんないいとこを旅して、じき神さまのとこへ行きます。そこならもうほんとうに・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・彼は、ハンケチを出して額をなでまわした。ハンケチには香水がついている。グラフィーラは後毛をたらしたまま、歪んだ笑顔で、「香水をつけ出したんだね。」と云った。「とてもいい香水だ……何を拭いてるのさ?」 食いつくようにドミトリー・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
一 去年の八月頃のことであった。三日ばかり極端に暑気のはげしい日がつづいた。日の当らないところに坐っていても汗が体から流れてハンケチなんか忽ち水でしぼったようになった。その時の私の生活状態は特別な・・・ 宮本百合子 「芸術が必要とする科学」
・・・ 娘が絹のハンケチを取り出した。「それだそれだ。で思い出したが、ここの内に丁度お前のような薫という子がいたが、あれはどうした。」「薫さんはお内へ帰りましたの。」「内は何だい。」「お医者さんですわ。」「おお方誰かが一旦・・・ 森鴎外 「里芋の芽と不動の目」
・・・ 僕は薄縁の上に胡坐を掻いて、麦藁帽子を脱いで、ハンケチを出して額の汗を拭きながら、舟の中の人の顔を見渡した。船宿を出て舟に乗るまでに、外の座敷の客が交ったと見えて、さっき見なかった顔がだいぶある。依田さんは別の舟に乗ったと見えて、とう・・・ 森鴎外 「百物語」
・・・そのくせわたくしの物にはなんでもその花の香が移っているのでございます。ハンケチも、布団も、読んでいる本も、みんなその薫がいたします。毎日朝早く妹のアガアテが部屋に這入って参って、にっこり笑うのでございます。アガアテはいつでもわたくしの所へ参・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
出典:青空文庫