・・・雪ちゃんもついて来て入り口の柱へもたれて浮かぬ顔でボンヤリしている。眼のふちが少し赤い。ちょうど机の上に昨夕買って来た『新声』の卯花衣があったから、「雪チャン。これを御覧。綺麗な画があるよ」と云うたら返事はなくて悲しげに微笑した。「ドーモま・・・ 寺田寅彦 「雪ちゃん」
・・・ よばれた二人の文選工が、まだよごれ手のまま、ボンヤリはいってくると、「お前たち、もう今夜はいいから、ポスターをてつだいなさい」 と、あごでしゃくった。武ちゃんも、安雄も三吉とは知っている組合員であったが、主人の方にだけ気をとら・・・ 徳永直 「白い道」
・・・とそう言ったところで何もただボンヤリ演壇に登った訳でもないので、ここへ出て来るだけの用意は多少準備して参ったには違ないのです。もっとも私がこの和歌山へ参るようになったのは当初からの計画ではなかったのですが、私の方では近畿地方を所望したので社・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・三箇月も四箇月も遊んでいる人があるのでこれは気の毒だと思うと、豈計らんやすでに一年も二年もボンヤリして下宿に入ってなすこともなく暮しているものがある。現に私の知っている者のうちで、一年以上も下宿に立て籠って、いまだに下宿料を一文も払わないで・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・室の真中からたった一つの電燈が、落葉が蜘蛛の網にでもひっかかったようにボンヤリ下って、灯っていた。リノリュームが膏薬のように床板の上へ所々へ貼りついていた。テーブルも椅子もなかった。恐ろしく蒸し暑くて体中が悪い腫物ででもあるかのように、ジク・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・ そして橋の手すりに肘をついて浚渫船をボンヤリ眺めた。 夜明け方の風がうすら寒く、爽かに吹いて来た。潮の匂いが清々しかった。次には、浚渫船で蒸汽を上げるのに、ウント放り込んだ石炭が、そのまま熔けたような濃い烟になって、私の鼻っ面を掠・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
・・・ それでもまあ、少しばかり読んだり書いたりする位が人間らしい。 何か読むか書くかしなければ居られない私がその仕事を取りあげられて仕舞うと「どら猫」より馬鹿になって仕舞う。 ボンヤリと空をながめて居たり、うなだれて眼ばかり上眼を用・・・ 宮本百合子 「秋毛」
・・・カールはこの頃、ボンに住んだり、トリエルのヴェストファーレン家に暮したりして、つぎつぎの家庭的紛争に心を労していたといわれている。が、その内容を知るものはない。 カールとイエニーとが、長い七年間の婚約時代をへてついに結婚したのは一八四三・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・村の階級闘争を、パンフョーロフは眠ったく、不明瞭に、ボンヤリ書いてる。シュレンカは、のらくら者の見本だよ。うまく書いてある。あとの貧農の人物を作者は説明していない。富農連が却ってスッカリ書かれてるでねえか。アグニェフがどうやら中農らしいが、・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・と赤鉛筆で書いてあって、特に赤いリボンがつけてあります。アラームの意味です。忘れるとベルでも鳴ればもっと調法でしょう。目録のこと取計います。訳註の本のこともして置きます。この御注文は嬉しいと思います。 栗林さんの支払いは受取りがあって、・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
出典:青空文庫