・・・それが、通りかかったボーイを呼び止めて何か興奮したような大声で「カントクサン、呼んでください。カントクサン、呼んでください」と繰り返している。やがてやって来たボーイ頭をつかまえて「このアイスクリーム、チトモツメタクナイ。ワタクシもう三つ食べ・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・震動が衰えてから外の様子を見に出ようと思ったが喫茶店のボーイも一人残らず出てしまって誰も居ないので勘定をすることが出来ない。それで勘定場近くの便所の口へ出て低い木柵越しに外を見ると、そこに一団、かしこに一団という風に人間が寄集まって茫然とし・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・上のボートデッキでボーイと女船員が舞踊をやっていた。十三夜ぐらいかと思う月光の下に、黙って音も立てず、フワリフワリと空中に浮いてでもいるように。四月四日 日曜で早朝楽隊が賛美歌を奏する。なんとなく気持ちがいい。十時に食堂でゴッテスデ・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ ボストンで、とあるチョプスイ屋へはいって夕飯を喰ったら、そこに日本人のボーイが居て馴れ馴れしく話しかけた。帰りにチップをいつもより奮発して出したら突返された。そうして、自分はここではボーイをしているが日本へ帰れば相当な家もあって、相当・・・ 寺田寅彦 「チューインガム」
・・・ほっとしていつしか書中の人となりける。ボーイの昼食をすゝむる声耳に入りたれどもとより起き上がる事さえ出来ざる吾の渋茶一杯すゝる気もなく黙って読み続くるも実はこのようなる静穏の海上に一杯の食さえ叶わぬと思われん事の口惜しければなり。 一篇・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・堪え兼ねてボーイを呼んで大きな氷塊を取寄せてそれを胸に載せて辛うじて不眠の一夜を過ごした。その時に氷塊を持ってぬっと出現した偉大なニグロのボーイの顔が記憶に焼きつけられて残っている。それから、ウェザー・ビュローの若い学者と一緒にあるいた。あ・・・ 寺田寅彦 「夏」
・・・ 中年学校、老年学校を設置して中年、老年の生徒を収容し、その教授、助教授には最も現代的な模範的ボーイやガールを任命するのも一案である。 子供を教育するばかりが親の義務でなくて、子供に教育されることもまた親の義務かもしれないのである。・・・ 寺田寅彦 「猫の穴掘り」
・・・音楽家はボーイを読んで勘定を命じながら内かくしから紙入れを捜ってその中から紙幣のたばを引出した。十円札が二、三十枚もありそうである。それを眼の高さに三十センチの処まで持って来て、さて器用な手つきをしてぱらぱらと数えて見せた。自分達は半ば羨ま・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・いくら心配しても、それだけの時間は、飛躍を許さないので、道太は朝まではどうかして工合よく眠ろうと思って、寝る用意にかかったが、まだ宵の口なので、ボーイは容易に仕度をしてくれそうになかった。 道太は少しずつ落ち著いてくると同時に、気持がく・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・カッフェーの女給はその頃にはなお女ボーイとよばれ鳥料理屋の女中と同等に見られていたが、大正十年前後から俄に勃興して一世を風靡し、映画女優と並んで遂に演劇女優の流行を奪い去るに至った。しかし震災後早くも十年を過ぎた今日では女給の流行もまた既に・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
出典:青空文庫