・・・窓の外には往来の向うに亜鉛屋根の古着屋が一軒、職工用の青服だのカアキ色のマントだのをぶら下げていた。 その夜学校には六時半から、英語会が開かれるはずになっていた。それへ出席する義務のあった彼はこの町に住んでいない関係上、厭でも放課後六時・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・帽子を被って二重マントを着た、護謨長靴ばきの彼れの姿が、自分ながら小恥しいように想像された。 とうとう播種時が来た。山火事で焼けた熊笹の葉が真黒にこげて奇跡の護符のように何所からともなく降って来る播種時が来た。畑の上は急に活気だった。市・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・華美を極めた晴着の上に定紋をうった蝦茶のマントを着て、飲み仲間の主権者たる事を現わす笏を右手に握った様子は、ほかの青年たちにまさった無頼の風俗だったが、その顔は痩せ衰えて物凄いほど青く、眼は足もとから二、三間さきの石畳を孔のあくほど見入った・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・時に、樹の蔭より、顔黒く、嘴黒く、烏の頭して真黒なるマント様の衣を裾まで被りたる異体のもの一個顕れ出で、小児と小児の間に交りて斉しく廻る。地に踞りたる画工、この時、中腰に身を起して、半身を左右に振って踊る真似す。続いて、初の黒き・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・ あの、仔雀が、チイチイと、ありッたけ嘴を赤く開けて、クリスマスに貰ったマントのように小羽を動かし、胸毛をふよふよと揺がせて、こう仰向いて強請ると、あいよ、と言った顔色で、チチッ、チチッと幾度もお飯粒を嘴から含めて遣る。……食べても強請・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・あるいは、われわれが法善寺の魔法のマントに吸いこまれたその瞬間の、錯覚であるかも知れない。夜ならば、千日前界隈の明るさからいきなり変ったそこの暗さのせいかも知れない。ともあれ、ややこしい錯覚である。 境内の奥へ進むと、一層ややこしい。こ・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・見台の横に番傘をしばりつけ、それで雪を避けている筈だが、黒いマントはしかし真っ白で、眉毛まで情なく濡れ下っていた。雪達磨のようにじっと動かず、眼ばかりきょろつかせて、あぶれた顔だった。人通りも少く、こんな時にいつまでも店を張っているのは、余・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・それを背にうけて自分の影がくっきり長く地を這っていた。マントの下に買物の包みを抱えて少し膨れた自分の影を両側の街燈が次には交互にそれを映し出した。後ろから起って来て前へ廻り、伸びて行って家の戸へ頭がひょっくり擡ったりする。慌しい影の変化を追・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・汚れた手拭の上へ載せてみたりマントの上へあてがってみたりして色の反映を量ったり、またこんなことを思ったり、 ――つまりはこの重さなんだな。―― その重さこそ常づね尋ねあぐんでいたもので、疑いもなくこの重さはすべての善いものすべての美・・・ 梶井基次郎 「檸檬」
・・・そして次の日には又マントを持ってきたり、手袋を持ってきたりする。特高室は上田のお母アの持ってくるもので一杯になってしまった。警察では「又、気狂いババが来た」といって取り合わなかった。それでもお母アは平気だった。――あまりやかましいので、一度・・・ 小林多喜二 「母たち」
出典:青空文庫