・・・そうしてそれがそれほど誇張されない身ぶりの運動のモンタージュによって、あらゆる悲痛の腹芸を演ずるからおもしろいのである。 松王丸の妻もよくできていた。源蔵の妻よりもどこか品格がよくて、そうして実にまた、いかなる役者の女形がほんとうの女よ・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・すなわち芸術家としての映画監督の主要な仕事としてのいわゆるモンタージュの芸術が行なわれるのである。 シナリオを書くまでは必ずしも映画の技術に精通しない素人でも多少「映画的表現」すなわち「映画の言葉」を心得た人ならばある程度まではできない・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・いわゆるモンタージュの芸当をあまりにわざとらしく感じさせるようなところもある。たとえば紡績機械の流動のリズムと、雪解けの渓流のそれと、またもう一つ綿羊の大群の同じ流れとの交互映出のごときも、いくらかそうである。しかしこういう流動に、さらに貨・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 両国の花火のモンタージュがある。前にヤニングス主演の「激情のあらし」でやはり花火をあしらったのがあった。あの時は嫉妬に燃える奮闘の場面に交錯して花火が狂奔したのでずいぶんうまく調和していたが、今度のではそういう効果はなかったようである・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・ 日本映画人がかつてソビエト露国から俳諧的モンタージュの逆輸入を企て一時それに熱中したのはすでに周知の事実なのである。二 ロバータ 前に見た「コンチネンタル」と同じく芸人フレッド・アステーアとジンジャー・ロジャースとの舞・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(※[#ローマ数字7、1-13-27])」
・・・映画の内容のモンタージュが問題となるように、見るべき映画のプログラムのモンタージュもやはり問題になるようである。 ともかくも「人生の歌」には理知的興味が勝っているので、そういうものを要求する観客にはおもしろいかもしれない。そういう観客に・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・巻物に描かれた雲や波や風景や花鳥は、その背景となり、モンタージュとなり、雰囲気となり、そうしてきたるべき次の場面への予感を醸成する。そこへいよいよ次の画面が現われて観者の頭脳の中の連続的なシーンと「コインシデンス」をする。そうして観者の頭の・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・しかもその限定された内容はいわゆるモンタージュ、すなわち編輯法によって始めて決定されるもので、同じ朝顔の花でも前後の関係によって色々の内容をもって現わされ得ることになるのである。 こんな理由だけからでも、映画によってすべての文字を駆逐す・・・ 寺田寅彦 「教育映画について」
・・・ 青磁の皿にまっかなまぐろのさしみとまっ白なおろし大根を盛ったモンタージュはちょっと美しいものの一つである。いきのよいさしみの光沢はどこか陶器の光沢と相通ずるものがある。逆に言えば陶器の肌の感触には生きた肉の感じに似たものがある。ある意・・・ 寺田寅彦 「青磁のモンタージュ」
・・・ 近ごろ映画芸術の理論で言うところのモンタージュはやはり取り合わせの芸術である。二つのものを衝き合わせることによって、二つのおのおのとはちがった全く別ないわゆる陪音あるいは結合音ともいうべきものを発生する。これが映画の要訣であると同時に・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
出典:青空文庫