西洋では五月に林檎やリラの花が咲き乱れて一年中でいちばん美しい自然の姿が見られる地方が多いようである。しかし日本も東京辺では四月末から五月初めへかけて色々な花が一と通り咲いてしまって次の季節の花のシーズンに移るまでの間にち・・・ 寺田寅彦 「五月の唯物観」
・・・案内のじいさんを三リラで雇ったが、早口のドイツ語はよく聞き取れなかった。夏至の日に天井の穴から日が差し込むという事だけはよくわかった。ステインドグラスの説明には年号や使徒の名などがのべつに出て来たが、別に興味を動かされなかった。塔の屋根へ登・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・春ともなればリラの花も薫るであろう。しかしわが東京、わが生れた孤島の都市は全く滅びて灰となった。郷愁は在るものを思慕する情をいうのである。再び見るべからざるものを見ようとする心は、これを名づけてそも何と言うべき歟。昭和廿一年十月草・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・まわりを埋めて草が茂り、紫のリラの花が咲いている。ベンチに、帽子をかぶらない女があっち向にかけて本を読んでいた。またそのむこうはフランス風の鉄柵だ。河岸通り。ネ河の流れがその鉄柵をとおして見えた。 こういう門の中に、レーニングラード対外・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・与謝野晶子、藤村などが詩を語って、思い出の中にまざまざ生かしているであろうカフェー・リラで、今日声高く談ぜられているのは常に必ずしも、文学、音楽のことのみではない。横光氏は座談会で云っている。「外国の文士というものは聊か政治批評をやっている・・・ 宮本百合子 「「迷いの末は」」
・・・ 小さい門、リラの茂、薄黄色模様の絹の布団、ジャケツ、黄色のクッションにもたれて欧州婦人のジェスチュアをする五十五歳の光子クーデンホフ夫人。 宮本百合子 「無題(八)」
出典:青空文庫