・・・ それが、父一人子一人の、久し振りの挨拶だった。「荷物はそれだけか」「少ないでしょう?」「いや、多い。多すぎる。どうも近所に体裁が悪いよ。もっとも近所といっても、焼跡ばかしだが……」「そう言われるだろうと思って、大阪駅の・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・ 鉄也さんというのは今井の叔父さんの独り子で、不幸にも四、五年前から気が狂って、乱暴は働かないが全くの廃人であった。そのころ鉄也さんは二十一、二で、もし満足の人なら叔父さんのためには将来の希望であった。しかるに叔父さんもその希望が全くな・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・一つにはまだ年が行かない一人子の初旅であったせいもあろうが、また一つには、わが家があまりに近くてどうでも帰ろうと思えばいつでも帰られるという可能性があるのに、そうかと云って予定の期日以前に帰るのはきまりが悪いという「煩悶」があったためらしい・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・いったい自分は両親にとっては掛け替えのない独り子で、我儘にばかり育ったが、病気となると一層の我儘で手が付けられなかったそうである。薬でもなかなか大人しくのまぬ。これを飲んだらあれを買ってやるからと云ったような事で、枕元には玩具や絵本が堆くな・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・小さいとき引き離されていたりしたから幸雄の方じゃ大した気持もあるまいが、生んだものにして見れば親一人子一人の境涯だからね」 なるほどそういう心持であったかと、石川は二間続の離室に好意を感じながら図面を見なおした。 三日経つと立前とい・・・ 宮本百合子 「牡丹」
出典:青空文庫