・・・ 四一 金 僕は一円の金を貰い、本屋へ本を買いに出かけると、なぜか一円の本を買ったことはなかった。しかし一円出しさえすれば、僕が欲しいと思う本は手にはいるのに違いなかった。僕はたびたび七十銭か八十銭の本を持ってきたの・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・何んにも言うなで、一円出した。「織坊、母様の記念だ。お祖母さんと一緒に行って、今度はお前が、背負って来い。」「あい。」 とその四冊を持って立つと、「路が悪い、途中で落して汚すとならぬ、一冊だけ持って来さっしゃい、また抱いて寝・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・こんなものよりか金の一両も貰った方が宜かったと、椿岳がいうと、そんなら一両で買いましょうと、一円出して蓮杖は銅牌を貰って帰った。橋弁慶の行衛は不明であるが、この弁慶が分捕りした銅牌は今でも蓮杖の家に残ってるはずだが、これも多分地震でどうかし・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・晩の米が無いから、明日の朝食べる物が無いから――と云っては、その度に五十銭一円と強請って来た。Kは小言を並べながらも、金の無い時には古本や古着古靴などまで持たして寄越した。彼は帰って来て、「そうらお土産……」と、赤い顔する細君の前へ押遣るの・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ 陸軍病院で――彼は、そこに勤務していた――毎月一円ずつ強制的に貯金をさせられている。院長の軍医正が、兵卒に貯金をすることを命じたのだ。 俸給が、その時、戦時加俸がついてなんでも、一カ月五円六十銭だった。兵卒はそれだけの金で一カ月の・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・五円札と、五十銭札と、一円札とが合せて十円ぐらい入っている。母が、薪出しをしてためた金を内所で入れといてくれたのだろう。「おい、おい。お守りの中から金が出てきたが。」 吉永は嬉しそうに云った。「何だ。」「お守りの中から金が出・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・私はその頃、或るインチキ新聞の広告取りみたいな事もやって居りまして、炎天下あせだくになって、東京市中を走りまわり、行く先々で乞食同様のあつかいを受け、それでも笑ってぺこぺこ百万遍お辞儀をして、どうやら一円紙幣を十枚ちかく集める事が出来て、た・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・耳の遠い髪の臭い薄ぼんやりした女ボオイに、義理一遍のビイルや紅茶を命ずる面倒もなく、一円札に対する剰銭を五分もかかって持て来るのに気をいら立てる必要もなく、這入りたい時に勝手に這入って、出たい時には勝手に出られる。自分は山の手の書斎の沈静し・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・私は考えた。幽霊じゃあるまいし、私の一足後ろを、いくらそうっと下りたところで、音のしない訳がないからだ。 私はもう一度彼女を訪問する「必要」はなかった。私は一円だけ未だ残して持っていたが、その一円で再び彼女を「買う」と云うことは、私には・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・東洋紡、伏見宮姫の見学。一円八十銭の作業服自弁、時間外に掃除。キレイにするコト。寄宿舎の南京虫をタイジしろ!○鬼足袋工業株式会社、資本百万円、寺田淳平。二百六十四名、主に少女工剣劇ファン○職工と女工と別の出入口をもっ・・・ 宮本百合子 「工場労働者の生活について」
出典:青空文庫