・・・ 第一場舞台は、村の国民学校の一教室。放課後、午後四時頃。正面は教壇、その前方に生徒の机、椅子二、三十。下手のガラス戸から、斜陽がさし込んでいる。上手も、ガラス戸。それから、出入口。その外・・・ 太宰治 「春の枯葉」
・・・ これは今のところでは一場の夢物語のようであるが、実はこの夢の国への第一歩はすでに踏み出されている。そうして昨今国民の耳を驚かす非常時非常時の呼び声はいっそうこの方向への進出を促すように見える。 東京市全部の地図が美しい大公園になっ・・・ 寺田寅彦 「地図をながめて」
・・・従ってここでいうところのチューインガム亡国論も畢竟はただ一場の空論に過ぎないと云われても仕方がないであろうが、しかしこの些末な嗜好品の流行の事実もそう軽々には見遁すことの出来ないものではあろうと思われる。 また考え直してみると日本という・・・ 寺田寅彦 「チューインガム」
・・・風が吹いて桶屋が喜ぶという一場の戯談もあながち無意義な事ではない。厳密に云えば孤立系などというものは一つの抽象に過ぎないものである。例えば今一本のペンを床上に落とせば地球の運動ひいては全太陽系全宇宙に影響するはずである。一本のマッチをすれば・・・ 寺田寅彦 「方則について」
・・・妾宅の台所にてはお妾が心づくしの手料理白魚の雲丹焼が出来上り、それからお取り膳の差しつ押えつ、まことにお浦山吹きの一場は、次の巻の出づるを待ち給えといいたいところであるが、故あってこの後は書かず。読者諒せよ。明治四十五年四月・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・わたしは主人公とすべき或婦人が米国の大学を卒業して日本に帰った後、女流の文学者と交際し神田青年会館に開かれる或婦人雑誌主催の文芸講演会に臨み一場の演説をなす一段に至って、筆を擱いて歎息した。 初めわたしはさして苦しまずに、女主人公の老父・・・ 永井荷風 「十日の菊」
東京美術学校文学会の開会式に一場の講演を依頼された余は、朝日新聞社員として、同紙に自説を発表すべしと云う条件で引き受けた上、面倒ながらその速記を会長に依頼した。会長は快よく承諾されて、四五日の後丁寧なる口上を添えて、速・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・多少書を読み思索にも耽った私には、時に研究の便宜と自由とを願わないこともなかったが、一旦かかる境遇に置かれた私には、それ以上の境遇は一場の夢としか思えなかった。然るに歳漸く不惑に入った頃、如何なる風の吹き廻しにや、友人の推輓によってこの大学・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・オルカニヤの作といい伝えている画に、死の神が老若男女、あらゆる種々の人を捕え来りて、帝王も乞食もみな一堆の中に積み重ねているのがある、栄辱得失もここに至っては一場の夢に過ぎない。また世の中の幸福という点より見ても、生延びたのが幸であったろう・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・ こう言って、切れ切れな言葉で彼は屍を食うのを見た一場を物語った。そして忌まわしい世に別れを告げてしまった。 その同じ時刻に、安岡が最期の息を吐き出す時に、旅行先で深谷が行方不明になった。 数日後、深谷の屍骸が渚に打ち上げられて・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
出典:青空文庫