・・・私たち二人は、その晩、長野の町の一大構の旅館の奥の、母屋から板廊下を遠く隔てた離座敷らしい十畳の広間に泊った。 はじめ、停車場から俥を二台で乗着けた時、帳場の若いものが、「いらっしゃい、どうぞこちらへ。」 で、上靴を穿かせて、つ・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・ 勉強をする時間が出来たわけだが、目的の脚本は少しも筆が取れないで、かえって読み終ったメレジコウスキの小説を縮小して、新情想を包んだ一大古典家、レオナドダヴィンチの高潔にしてしかも恨み多き生涯を紹介的に書き初めた。 ある晩のこと、虚・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・更に進んで文人の権威を認めしめるように一大努力をしなければならぬ。 小生は今は文学論をするツモリでないから、現在の文学其ものに就ては余り多くを云わない。唯、文学論としてよりは小生一個の希望――文学に対する註文を有体に云うと、今日の享楽主・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・とある書窓の奥にはまた、あわれ今後の半生をかけて、一大哲理の研究に身を投じ尽さんものと、世故の煩を将って塵塚のただ中へ投げ捨てたる人あり。その人は誰なるらん。荻の上風、桐は枝ばかりになりぬ。明日は誰が身の。・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・『ところでもっとも僕らの感を惹いたものは九重嶺と阿蘇山との間の一大窪地であった。これはかねて世界最大の噴火口の旧跡と聞いていたがなるほど、九重嶺の高原が急に頽こんでいて数里にわたる絶壁がこの窪地の西を回っているのが眼下によく見える。男体・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・日本は今その内外の地位に一大飛躍を要求されているときであり、国の建てなおしをする劃期的時代を産む陣痛状態にあるのである。このときに際して、日本の婦人はその事業を男子のみに任せておくことなく、「時代を産む母」としての任務を自覚して立ち上らねば・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・古来の死刑は、はたして刑罰の目的を達することにおいて、よくその効果を奏したか、ということは、学者のひさしくうたがうところで、これまた、未決の一大問題として存している。けれども、わたくしは、ここで死刑の存廃を論ずるのではない。今のわたくし一個・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・ 謂うに人に死刑に値いする程の犯罪ありや、死刑は果して刑罰として当を得たる者なりや、古来の死刑は果して刑罰の目的を達するに於て、能く其効果を奏せりやとは、学者の久しく疑う所で、是れ亦た未決の一大問題として存して居る、而も私は茲に死刑の存・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・な醜い姿をして這って歩いていたのだ、恥を知れ、などと言って学界の紳士たちをおどかしたので、その石は大変有名になりまして、貴婦人はこれを憎み、醜男は喝采し、宗教家は狼狽し、牛太郎は肯定し、捨てて置かれぬ一大社会問題にさえなりかけて来ましたので・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
ウィインで頗る勢力のある一大銀行に、先ずいてもいなくても差支のない小役人があった。名をチルナウエルと云う小男である。いてもいなくても好いにしても、兎に角あの大銀行の役をしているだけでも名誉には違いない。 この都に大勢いる銀行員と云・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
出典:青空文庫