一 本州の北端の山脈は、ぼんじゅ山脈というのである。せいぜい三四百米ほどの丘陵が起伏しているのであるから、ふつうの地図には載っていない。むかし、このへん一帯はひろびろした海であったそうで、義経が家来たちを連・・・ 太宰治 「魚服記」
・・・ × 関東地方一帯に珍らしい大雪が降った。その日に、二・二六事件というものが起った。私は、ムッとした。どうしようと言うんだ。何をしようと言うんだ。 実に不愉快であった。馬鹿野郎だと思った。激怒に似た気持であった。・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・しかしその時刻にはもうあの恐ろしい前代未聞の火事の渦巻が下町一帯に拡がりつつあった。そうして生きながら焼かれる人々の叫喚の声が念仏や題目の声に和してこの世の地獄を現わしつつある間に、山の手では烏瓜の花が薄暮の垣根に咲き揃っていつもの蛾の群は・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・しかしその時刻にはもうあの恐ろしい前代未聞の火事の渦巻が下町一帯に広がりつつあった。そうして生きながら焼かれる人々の叫喚の声が念仏や題目の声に和してこの世の地獄を現わしつつある間に、山の手ではからすうりの花が薄暮の垣根に咲きそろっていつもの・・・ 寺田寅彦 「からすうりの花と蛾」
・・・ 沼地などの多い、土地の低い部分を埋めるために、その辺一帯の砂がところどころ刳り取られてあった。砂の崖がいたるところにできていた。釣に来たときよりは、浪がやや荒かった。「この辺でも海の荒れることがあるのかね」「それあありますとも・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・其間一帯ノ平坦ヲ成ス。中ニ花柳ノ一郭アリ。根津ト曰フ。地ハ神祠ニ因ツテ名ヲ得タリ。祠ハ即根津神社ナリ。祠宇壮麗。祠辺一区ノ地、之ヲ曙ノ里ト称シ、林泉ノ勝ニ名アリ。丘陵苑池、樹石花草巧ニ景致ヲ成ス。而シテ園中桜樹躑躅最多ク、亦自ラ遊観行楽ノ一・・・ 永井荷風 「上野」
・・・老樹の梢には物すごく鳴る木枯が、驚くばかり早く、庭一帯に暗い夜を吹下した。見えない屋敷の方で、遠く消魂しく私を呼ぶ乳母の声。私は急に泣出し、安に手を引かれて、やっと家へ帰った事がある。 安は埋めた古井戸の上をば奇麗に地ならしをしたが、五・・・ 永井荷風 「狐」
・・・こういう訳であるから、それが一列一帯にチャンと御手際だけは出来ておらないといけない。御手際が出来てない物は皆落第する――のですかどうか分らないが、とにかくそういうことを私は文展において認め、かつその文展における絵の特色と人間の特色と相対して・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・つまり各農戸の人員を数えず、バラビンスキー地方一帯、牛一匹一年六・六ツェントネル平均として協定標準が定っていた。各農家別にすると、一頭持 四・六二頭持 六・〇三頭持 七・五 ところが今年は当地方平均一頭宛・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・ ところが、或る夏の日、あたり一帯もの凄い音響がして、やがて死んだようにしんとなった。しばらくして、その森閑とした大気のどこかしらから人声がきこえて来た。かすかだった人声は次第にたかまり、やがて早足に歩く跫音がおこり、やがてかたまって駈・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第七巻)」
出典:青空文庫