・・・のお上の一張羅の上へ粗忽をしたのです。ところが「青ペン」のお上と言うのは元来猫が嫌いだったものですから、苦情を言うの言わないのではありません。しまいには飼い主のお松にさえ、さんざん悪態をついたそうです。するとお松は何も言わずに「三太」を懐に・・・ 芥川竜之介 「温泉だより」
・・・ 緋鹿子の上へ着たのを見て、「待っせえ、あいにく襷がねえ、私がこの一張羅の三尺じゃあ間に合うめえ! と、可かろう、合したものの上へ〆めるんだ、濡れていても構うめえ、どッこいしょ。」 七兵衛はばったのような足つきで不行儀に突立つと・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ と挨拶した婆さんに抱いていた子供を預けると、お君は一張羅の小浜縮緬の羽織も脱がず、ぱたぱたとそこらじゅうはたきをかけはじめた。 三日経つと家の中は見違えるほど綺麗になった。婆さんは、じつは田舎の息子がと自分から口実を作って暇をとっ・・・ 織田作之助 「雨」
・・・ げんにその日も――丁度その日は生国魂神社の夏祭で、表通りをお渡御が通るらしく、枕太鼓の音や獅子舞の囃子の音が聴え、他所の子は皆一張羅の晴着を着せてもらい、お渡御を見に行ったり、お宮の境内の見世物を見に行ったり、しているのに、自分だけは・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・田舎の秋のお祭りに、太鼓を舁いだり、幟をさしたり、一張羅の着物を着てマチへ出る村の人々は、何等か興味をそゝって話の種になったものだが、東京の街で見るものは彼等にとって全く縁遠いものだった。浅草の観音もさほど有がたいとは思われなかった。せわし・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・「だって、後はどうするエ。一張羅を無くしては仕様がないじゃあないか、エ、後ですぐ困るじゃ無いか。「案じなさんな、銭があらあ。「妙だねえ、無いから帯や衣類を飲もうというのに、その後になって何が有るエ。「しみッたれるなイ、裸百貫・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・すると霊岸町の手前で、田舎丸出しの十八、九の色の蒼い娘が、突然小間物店を拡げて、避ける間もなく、私の外出着の一張羅へ真正面に浴せ懸けた。私は詮すべを失った。娘の兄らしい兵隊は無言で、親爺らしい百姓が頻に詫びた。娘は俯向いてこそこそと降りた。・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
出典:青空文庫